疎外感を感じたら思い出すべきこと【疎外感は考え方の問題】

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最終更新日 2024年5月18日

「自分は1人だ」「孤独だ」

生きている中でそう感じたことがある人は少なくないだろう。

社会人になると仕事や時間に追われ、友人と遊んだり出掛けたりすることも少なくなり、仕事が忙しくなれば休日はどこにも出掛ける気が起きないほど疲れているというのもめずらしくはない。

毎日繰り返す生活を送り、気づけば何ヶ月も経っていて、友人とも疎遠になってしまい、ただ会社と自宅を往復する毎日。

そんな日々を送っていれば、大多数の人は「寂しい」「孤独」「自分は1人だ」と思ってしまうだろう。

誰かとつながりたいとSNSを覗いても、他人の楽しそうな生活が目に入り、羨ましい感情が湧き出てさらに気分が凹んでくる。

人はみな、どこからしらに寂しい気持ちや疎外感を感じながら生きているものである。

だが、疎外感を感じたままにしておくと、精神的にも害になってしまうことが多い。

疎外感を感じるのは悪いことではなくても、疎外感を感じたままでは満たされた人生を送ることはできないのである。

 

疎外感とは何か?

これだけ豊かになった現代において、疎外感を感じる人が多いのは不思議なことである。

人との距離も近くなり、スマホがあれば世界中の人といつでもつながれる時代に生きているのに、なぜ人は疎外感を感じるのだろうか。

そもそも「疎外」とはなんだろうと考えてみると、簡単に言えば、「仲間はずれにされている状態」が疎外感の正体と言えるだろう。

学校や職場で、他人から相手にされなかったり無視されたりすれば、自分は疎外されていると感じる。

また、疎外感は人から相手にされないときだけでなく、自分の居場所がないと感じたり、社会の役に立っていないことで疎外感を感じる人もいる。

疎外感は人間関係だけに限らず、精神的な拠り所や社会の居場所といった問題からも感じるものである。

疎外感を感じる対象が人ではなく抽象的なものである場合、疎外感は本人にとってかなり深い悩みとなるだろう。

 

疎外感を感じるのは疎外を感じたとき

人は疎外感を感じると、精神的にかなりの痛みを感じる。

疎外された孤独状態は人間にとってもっともつらい状態のひとつであり、疎外と孤独は密接に関連している。

疎外されることで孤独を感じ、孤独になることで疎外を感じる、といった具合である。

私はいつも一人で孤独だが、自分が仲間外れにされているような疎外感を感じたことは一度もない。

第三者から見れば疎外されているように見えるだろうが、当の本人である私は疎外されているとは思っていない。

だが、今振り返ってみると、あれは疎外されていたのでは?と思うときが何度かある。

小学生の時や中学生のときには、友達からウザがられて嫌われたことがあったし、これも今振り返ってみればの話だが、いじめといっても間違いではないようなこともされてた。

しかし、これも疎外感と同じく、自分が嫌われている、ウザがられている、いじめられていると深刻に悩んだことはない。

なんとなく嫌われてるんだろうなぁ、とは感じたりしたものの、特に何も感じていなかった。

つまり、何が言いたいのかと言うと、疎外感を感じるのは「自分が疎外されている」と感じたときなのである。

 

疎外されたと思わなければ疎外感は感じない

疎外感を感じるのは「自分が疎外されている」と感じたときと聞いて、「そんなの当たり前だろ」と思うかもしれない。

だが、 疎外感を感じるのは「自分が疎外されている」と感じたときなのであれば、たとえ第三者から見れば疎外されている状態であったとしても、自分が疎外を感じなければ疎外感も感じない。

つまり、疎外感を感じたときは、「自分は疎外されているわけではない」と考えれば、疎外感は感じないのである。

傍から見れば一人ぼっちで疎外されて寂しいやつのように見えたとしても、本人が気にしなければ疎外感だの孤独感だのとは無縁でいられる。

そもそも「自分は誰にでも受け入れられる」という前提を無意識のうちに持っているからこそ、それが叶わなかったときに疎外を感じるのである。

だったら、はじめから「人はみんな一人である」という考えを持ち、一人でいるのが当たり前だと考えばいい。

社会に居場所を感じられずに疎外感を感じていたとしても、自分で好き勝手に居場所をつくってしまえばいいのだ。

「侮辱されたと思うからこそ、人は侮辱されたと感じる」という言葉のとおり、「疎外されていると思うからこそ、疎外感を感じる」のである。

 

承認欲求が強いと疎外感を感じやすい

スマホが普及してからというもの、「承認欲求」という言葉を頻繁に耳にするようになった。

承認欲求とは「人から認めれたい」「褒められたい」「必要とされたい」といった、自分の存在価値を感じたいという欲求のことである。

人には誰でも「他人に認められたい」という欲求があり、人の行動のほとんどはこの承認欲求が関係していると言われている。

「寂しい」「孤独」「疎外」という感情があるのは、突き詰めれば「誰かに必要とされたい」という感情があってこそ成り立つものである。

逆を言えば、自分で自分を認めることができる人は疎外感を感じたりはしない。

アドラー心理学では、「人の悩みはすべて人間関係によるもので、他人がいるからこそ1人が「寂しい」「孤独」「誰かとつながりたい」と思ってしまうのだ」と述べている。

つまり、疎外感を感じてしまうのは、心の奥底に眠る承認欲求が関係しているのである。

人は誰でも承認欲求を持っているが、承認欲求が強いほど疎外感を感じる機会も増え、感じたときの心の痛みも強くなってしまう。

つまり、疎外感を感じたときは、必要以上に他人からの承認を求めている状態だと言えるだろう。

 

疎外感を感じるのは悪いことではない

「わかり合える人がいない=社会に居場所がない」というわけではない。

疎外感はという感情は、「疎外」そのものがそこに存在するわけでもない。

さきほど言ったように、疎外感を感じるのは自分が疎外されていると感じるからである。

そもそも疎外感を感じること自体は悪いことではなく、承認欲求がある以上、疎外感を感じる瞬間は誰しもあるだろう。

人が孤独を嫌うのは、人は誰かと一緒にいるべきという考えがあるからであり、人が疎外で苦しむのは、人は一人では生きていけないと思い込んでいるからである。

人生において人間関係は大切だ。

でもそれは、誰かと一緒にいなければいけないわけでも、一人で生きていけないわけではない。

孤独感も疎外感も、自分の考え方次第で簡単に消すことができる。

他人とつながることだけが人生じゃない。社会の役に立たなければ生きる意味がないわけでもない。

疎外感を感じることが悪いのではない。ただ、あなたがそれを悪いと感じているだけなのである。

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