「一人」と「独り」の違い【独りではなく一人になろう】

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最終更新日 2024年4月25日

私は一人で時間を過ごすことが好きだ。

自分の好きなことを好きな時間にできる自由は快適以外のなにものでもない。

食べたいときに食べ、寝たいときに寝て、行きたいところに行き、やりたいことを飽きるまでする。 

こんな贅沢な時間はほかにはないと思う。

他人に束縛されない時間のフリー化は、ストレスのフリー化にも貢献してくれるものであり、やりたいことを好き勝手にやってストレスを感じる人はいない。

だが、私は「一人」は好きだが「独り」は嫌いである。

 

「一人」と「独り」の違い

「一人は好きだが、独りは嫌い」と言うと、よく意味がわからないと突っ込まれる。

簡単に言うと、前者の「一人」は単純に状況的な一人を指すが、後者の「独り」は社会的な文脈の中で孤独な状態を指すものである。

一人が好きで、何でもあえて「一人」で行動する人は「独り」ではない。

一方、社会的なつながりを一切もたず、ずっと自分の殻に閉じこもっているだけの人は「独り」であることが多い。

たとえば、引きこもりなどは「独り」という言葉を表す典型例である。

「一人」は自由を与えてくれるが、「独り」は孤独を感じさせてしまう。

自由はストレスをフリー化してくれるが、孤独はネガティブな感情をフリー化してしまう。

自分の中を駆け巡る感情のどれをフリー化するかによって、その人が実感する「ひとり」の状況が変わるのだ。

 

一人が苦手な現代人

現代では一人で過ごすことが苦手な人はとても多い。

今の世の中は誰とでもすぐにつながることができるし、SNSを通じれば普段自分が関わるはずがない人たちとも簡単に関わりを持つことができる。

誰かと連絡を取りたいと思えば、スマホの上で親指をスラスラ動かすだけで、仮想空間上で簡単に誰とでも会話ができる世界に生きている。

見ず知らずの人と音楽の趣味が合うからと仲良くなることができ、SNSで呟いていることからわかる相手の性格と自分の性格が合っていると感じればフォローして絡むこともできる。

現代はスマホとSNSによって人間関係のフリー化がもたらされた時代である。 

しかし、そうした状況が現代人の孤独耐性を低くし、一人でいることに苦痛を感じさせる要因となっている。

本当は「一人」でいることは悪いことでも何でもないのに、人と簡単につながれる現代社会が「一人」を悪者にしているである。

つまり、一人が苦手な人は「一人」と「独り」を履き違えてしまっているのだ。

 

一人は独りじゃない

人間関係のフリー化は多くの人たちに大きな恩恵をもたらしてきた。

人は元々社会的な動物であるため、自然と他人とのつながりや社会とのつながりを求めるものだと言われているが、つながりを求める気持ちを現実的に行動に移すことができるのが現代社会である。

しかし、そうした人間関係のフリー化は多くの人たちから「一人の時間」をごっそりと奪いさっている。

よく、週末に一人で過ごしていると「寂しい」「孤独」「つまらない」と感じる人が多いというが、これは現代人の孤独耐性が著しく低下していることの表れでもある。

一日中ベッドの上でスマホで音楽や映画やYoutubeを楽しみながらも、日曜の夜に明日の仕事を考えながら憂鬱になる「サザエさん症候群」は現代人の悩みの種だ。

サザエさん症候群の多くは仕事が嫌なのではなく、休日が終わることの寂しさや孤独感、寂寥感や空虚感といった感情が基点になっているのだと思う。

だが、いつでも簡単に誰かとつながれるというのは、いつでも誰かとつながっていなければならないという強迫観念を生むことがある。

人間関係がフリー化しているのに、人間関係を楽しまないのは損だとでも言いたげな社会だ。

ここでも「一人」と「独り」の意味の齟齬が生じている。

 

人間関係を手放して一人になる

私は大人になってから、より一層一人で過ごす時間が大切だとしみじみ実感している。

学生時代は友達との関係が日常生活の大部分だったが、大人になると仕事やら恋愛やら職場の人間関係やらさまざまなものが意図せずとも自分の生活の中にズカズカと入り込んでくる。

一人暮らしをしていれば食事や家事をすべて自分でしなければならず、必然的に可処分時間(自由な時間)は減ってしまう。

だからこそ、多くの社会人は自由を渇望するのだと思う。

でも、自由な時間は意外と簡単に手にできる。

というのも、不必要な人間関係をスッパリ切り、一人でいる時間を確保するだけでいいのだ。

学生の頃の一人は苦痛でも、大人になれば一人が快適へと変化する。

もちろんこれは個人差によるので一概には言えないが、現代の人間関係のフリー化は不必要な人間関係を構築し、現代人から「一人の時間」を奪うものになってしまっている。

ちょっと話が合うだけですぐに友達気取りになり、一回会っただけで「友達」だの「友情」だの口にする。

こうした関係の中に本質的な価値は存在しない。

都合の悪いことが起きればすぐにいなくなる人は友人でも何でもないのだ。

 

独りを避けて一人になろう

人間関係のフリー化はより多くの人と関係を持つことを可能にした。

だがその一方で、現代社会での人との絆のつながりは100円寿司のヒラメぐらい薄いものになってしまった。

人は一人では生きていけない。これは真理だ。

でも、人間関係をたくさん持つことがいいわけではない。

よく言われるように、人間関係は距離感が何よりも大事なのだ。

人間関係は価値観よりも距離感が大事【自分に合った距離感】

2024年4月23日

社会的な孤立状態である「独り」は避けるべきでも、人生を自由気ままに楽しむためには「一人」になることも大切なのである。

適度な距離感を保ちながら、普段は自分の人生に集中しながらも必要なときに助け合い支えあう関係性。

それが現代で人間関係を良好に保つ秘訣なのではないかと思う。

何でもかんでも「より多く」を望むのは現代人の悪い癖である。よく言われるように、大事なのは「量」ではなく「質」なのである。

人間関係が大切なのは言うまでもないことだが、孤独耐性が低いままだと大人になっても精神的な自立はできないままだ。

「一人」と「独り」を分けて考えることに意味はないかもしれない。

だが、常に誰かとつながることを強いられる社会では、あえて「一人の時間」を持つことは生きづらさを解決するとともに、人間的な成長にも欠かせないことなのではないかと思うのである。

同じ人とずっと一緒にいれない自分はおかしいのだろうか?

2024年4月13日
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