最終更新日 2024年5月9日
忙しい時間を過ごしているときにいつも思うのが「心に余裕を持つことの大切さ」である。
心の余裕、時間的な余裕、精神的な余裕、生活的な余裕など、心穏やかに生きるには何事においても余裕を持つことが大切だと実感する。
人は心に余裕があるときとないときでは、物事への対処の仕方が変わる。
たとえば、仕事をたくさん抱えて精神的な余裕がないときは、周りにいる同僚や後輩に強く当たってしまうかもしれない。
いつもやることに追われている人は、時間的な余裕がないため、仕事以外のことへの興味が薄れてしまうかもしれない。
生活的な余裕も同じく、経済面で切羽詰まっていれば、本当なら絶対にやらないことにまで手を出してしまうかもしれない。
これらはすべて「心の余裕のなさ」から生まれるものであり、心に余裕があればうまく対処しながらそれなりにうまく生きていくことができる。
しかし、忙しい現代社会で生きる私たちには、その心の余裕を持つことが何よりも難しい。
心の余裕を求めるものではない
仕事に追われたくないと思えば思うほど、仕事のことを考えて精神的な余裕をなくす。
やることに追われずのんびり時間を過ごしたいと思えば思うほど、時間に追われながら過ごすことになる。
経済面も同じで、たくさんお金を稼いで生活に余裕を持たそうとすればするほど、生活自体に余裕がなくなっていく。
心の余裕は、どこか幸せにも似ている。
求めれば求めるほど遠ざかり、いつまで経っても手に入れることができない。
まるで昇進を焦らされているサラリーマンのようである。
心の余裕を求めるほど遠ざかっていくのであれば、どうすれば心に余裕のある生活を送れるのだろうか?
逆説的だが、それには心の余裕をあえて求めないようにするのがいい。
心の余裕は求めて手にするものではなく、気づくものなのだ。
あるいは、行動の結果として心に余裕のある状態になるのではなく、行動の過程の中にこそ余裕はあるのかもしれない。
心の余裕を求めて、余裕がなくなる
そもそも「心に余裕を持とう」と思うこと自体「心に余裕がない状態」であり、心の余裕を求めて右往左往するほど逃げ水のように心の余裕は遠ざかっていく。
その先に待っているのは、心を疲弊しながら消耗して生きる自分の姿である。
おもしろいことに、世の中の多くのものは、私たちが求めれば求めるほど遠ざかっていくようにできているのだ。
欲求や欲望を満たそうと日々足掻いてる人たちを見れば、彼らがいかに不満を覚えながら生きているかがわかる。
欲求や欲望は観念的なものであるがゆえに、一時的に満たしても満足はない。
満たせば満たすほど、追えば追うほど、人は「もっと多く」を求めて永遠に欲求や欲望を追い続けることになる。
心の余裕もこれと同じである。
「もっと心に余裕を持とう」「心の余裕さえあれば」と思えば思うほど、心の余裕がなくなり、いつまで経っても心穏やかに生きることができない。
「早く寝ないと」と思うほど寝れなくなる現象だ。
穏やかに生きるには心の余裕が必要だが、その心の余裕を求めると穏やかになれないのはなんとも皮肉な話である。
心の余裕は気づいて手に入るもの
よく、自然体でいることを心がけている人もいるが、傍からみると「自然体でいることを心がけている」こと自体が「不自然」に見えるものだ。
この逆説はいたるところに存在する。
自由を求めて不自由に、幸せを求めて不幸に、自然を求めて不自然に。そして、心の余裕を求めて切迫した状態になる。
何かを求めるというのは、欲求の裏返しである。欲求がなければ何かを欲することはない。
ゆえに、欲求を持たなければ、心に余裕を持とうと切羽詰まった状態になることもない。
そしてその状態こそ「心に余裕がある状態」なのだ。
つまり、心の余裕とはただ単に切羽詰まっていない状態。何も求めず、普通に生きている状態がもっとも心に余裕のある瞬間なのである。
私たちは心の余裕を求めて右往左往するが、実は最初から欲しいものは手にしている。
心に余裕がないのは、心に余裕があることに気づかず、「心に余裕を持たないと」と思うから心に余裕がなくなるのだ。
自分の心と向き合って心の余裕を見つける
心の余裕と幸せは似たようなものである。
すなわち、幸せも「なるもの」ではなく「気づくもの」だからだ。
ただ身近な幸せに気づきさえすれば、私たちは今すぐにでも幸せになることができる。
逆に言えば、今自分が幸せで恵まれていないと気づけない人は、何をやっても何を手に入れても幸せになることはできない。
すでに手にしてるものを求めて右往左往することほど愚かな姿はない。メガネをかけているのにメガネを探しているような状態だ。
そんなことをしている友達がいたら大笑いするだろう。でも、そんなことを私たちは普段大真面目にやっているのだ。
心の余裕も幸せも自由も、私たちは今この瞬間に手に入れている。少なくとも、このブログを読んでいる今この瞬間、あなたには心の余裕があるはずだ。
必要なのはそれに気づくことであり、何も高いお金を払ってスピリチュアル教室に通う必要はない。
心に余裕がない人は、自分の人生と自分の心と向き合う時間を持とう。
考えることにお金は1円もかからないのだから。
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