最終更新日 2024年5月15日
他人の目が気になって、自分のやりたいことができないという人も多いだろう。
日常生活の中でも、他人の目が気になって堂々と振舞えなかったり、消極的になってしまったりする人もいる。
実際、多くの人は他人の目が気になることで、自分の行動に制限をかけてしまっている。
他人の目を気になりやりたいことができず、常に周りからどう思われるかばかりが気になり、本当に振る舞いたいように振る舞えないと悩む。
では、なぜ人は他人の目が気になるのだろうか?
どうすれば他人の目を気にせずに、堂々と生きられるようになるのだろうか?
他人の目が気になるのはなぜか?
他人の目なんて気にせず生きられれば、どれだけ楽なんだろうと思うこともあるだろう。
ジョン・レノンもこう言っている。
人の言うことなんて気にしちゃだめだよ。
「こうすれば、ああ言われるだろう・・・」
こんなくだらない感情のせいで、どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう。
自己啓発本にはよく「周りを気にするな」「やりたいことをやれ」と書かれている。
他人の目なんて気にせず、自分のやりたいことをやれば人生が変わると、まるで学校の先生が言うような言葉がつらつらと書かれている。
しかし、他人の目が気になる人がこうした本を読んだところで何も変わらない。
なぜなら「どうすればいいか?」ばかりが書かれていて、「どうして他人の目が気になるのか?」といった根本的な原因が書かれていないからである。
問題や悩みを解決するときに大事なのは解決法をあれこれ探すことではなく、根本的な原因に目を向け、原因となっている因子を潰すこと。
つまり、足し算的な考えではなく、引き算的な考えが必要なのである。
他人の目が気になるのは嫌われたくないから
他人の目が気になる一つ目の原因は、「嫌われたくないから」という心理である。
おそらく、大多数の人はこれに当てはまるのではないかと思う。というのも、他人の目が気になる意識の裏には、「他人から嫌われたくない」という意識があるものだ。
他人から嫌われたくがないために、他人の目を気にする。いたって単純な論理である。
さらに、嫌われたくないと思う人は、孤独耐性が低いことも挙げられる。
他人から嫌われたくないと思うのは、そもそも「一人になりたくない」と思っているからであり、それは「孤独」を必要以上に恐れているともいえる。
つまり、「他人に嫌われる→孤独になる」を拒絶しているからこそ、「他人から嫌われたくない→他人の目が気になる」のである。
自意識過剰だと他人の目が気になる
他人の目が気になる人は、自信過剰であることも多い。言い換えれば「ナルシスト」である。
さきほどの「他人に嫌われたくない」にもつながることだが、他人の目が気になるのは「他人からよく思われたい」という心理の裏返しでもある。
そもそも、他人からどう思われてもいいと思っていれば他人の目なんか気になるはずもなく、自分の好きなように堂々と振る舞えるだろう。
他人の目が気になるのは、他人からの自分の評価を気にしている状態であり、少しでも他人や周りからよく思われたいと思っているからである。
ナルシストや自意識過剰になる原因もいくつか考えられるが、大体は自分の価値を実感したいという心理が働いている。
つまり、他人からよく思われないと自分の存在価値がわからなくなってしまうのである。これは承認欲求ともいえるだろう。
他人の目が気になるのは、実は自分の価値を実感する方法でもあるのだ。
プライドが高い臆病な人は他人の目が気になる
他人の目が気になることには、プライドも大きく関係している。
これは特に他人からバカにされたり否定されるのを避ける人によく当てはまるだろう。
プライドが高い人は、自分で自分のことを過大評価しているがために、他人から過小評価されることが許せない。
つまり、他人から下に見られたり、バカにされたり、恥をかかされたくがないために、過剰に他人の目が気になるのだ。
常に他人の言動にアンテナを張っておけば、事前に何か突っ込まれたりバカにされたりするのを避けることができる。
そうすれば、他人から傷つけられることもないし、恥をかくこともないし、ネタにされて笑いものになることもない。
言い換えると、他人の目が気になる人は、ある意味臆病だといえるかもしれない。
プライドが高い人は他人からの評価に右往左往している。
言うまでもなく、それでは自分らしく生きることはできず、他人の目が気になる状態から抜け出すこともできないだろう。
他人の目を気にせず堂々と生きるには?
ジョン・レノンの言葉のとおり、現代では人の言うことや他人の目が気になることで、やりたいことができずに死んでいく人は多い。
だが、生き方は自分次第でいつでも変えられるものである。
他人の目を気にせずに生きるには、先述した他人の目が気になる心理を逆にすればいい。
つまり、「他人に嫌われてもいい」と思い、「他人は自分が思っている以上に自分のことは見ていない」と理解し、プライドを捨てればいいのである。
もちろん、言うは易し行うは難しではあるが、今のまま他人の目が気になって生きるのか、頑張って自分を変えて自分らしく堂々と生きたいのか、決めるのは自分自身だ。
人生は自分が思っているよりも短い。
一度きりの人生を他人の目を気にして生きるのではなく、自分のやりたいように、自分らしく生きたほうが後悔が少なくなるのは言うまでもないだろう。
この記事が、他人の目が気になる人の処方箋になることを願っている。
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