受動的と能動的の違い【娯楽は楽しみ方が大事】

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最終更新日 2024年5月2日

物事の楽しみ方には2つの種類がある。「受動的」「能動的」だ。

受動的というのは、ダラダラとテレビやYouTubeを見たり、マンガやゲームなどをすることを指し、自分以外のものから受け取る姿勢のことである。

一方、能動的というのは、曲を作ったり写真を撮ったり、文章を書いたりすることを指し、自分から行動を起こしていくことである。

娯楽にも「受動的娯楽」と「能動的娯楽」があり、そのどちらを選択するかによって物事の充実感が大きく変わる。

たとえば、私は受動的な娯楽ばかりしていると「意味のない毎日を送ってる」と思って罪悪感を感じてしまう。

たとえ働かなくてもいいと言われても、人生や時間を無駄にしてるように感じてしまい、一日中YouTubeを見たりゲームをしたりすることができないのだ。

 

受動的と能動的

あくまで私見だが、人は受動的なタイプと能動的なタイプに分けられると思っている。

私は無理だが、人によっては毎日一日中ゲームしているだけで満足できる人もいる。

2ちゃんねる創始者である西村博之氏もそういうタイプなのだろう。彼は毎日ゲームと映画とマンガを見ながら過ごしているらしい。

不思議なもので、私にはその生活がまったく羨ましく感じない。

どうやら私は自分を満足させるためには能動的に行動するしかないようだ。

ただイスやベットで受動的に享受するだけでは満足できない。自分から娯楽を感じることを能動的にやらなければ、人生に意味を見いだせない。

なんともやっかいな性格である。

 

私にとっての能動的な行動

私がする能動的な行動の代表は文章を書くことである。

仕事もフリーランスでライターをやっているので、日常的に文章を書いているが、仕事をしなくていい日でも何かしらの文章を書いていないと充実感がない。

このエッセイもそうだし、ブログでは公開できないような生々しいリアルな生活を自分だけが見られる場所に書き綴ったりもしている。

自分にとって書くことと生きることは同義であり、人生の体験や経験、思考を書かなければ私は生を実感できない。

受動的に娯楽を享受していても、どこか虚しさを感じてしまい、満足を感じることができない。

でも文章を書いていれば充足感を感じられる。ポッカリと空いた穴を文章が埋めてくれる感覚だ。

とにかく自分が考えていることを言語化したいのである。

自分の中にある思いを押し殺しながら、受動的なことばかりしていると情緒不安定にさえなってしまうだろう。

 

受動的では満足できない性格

私は能動的な人間ではあるが、だからと言って受動的よりも能動的のほうがいいと言っているわけではない。

受動的で人生に満足を感じられるのであれば、それで問題ないだろう。

何に楽しみを感じるかは人それぞれ自由であり、他人に自分の楽しみを押しつけるようなことはするべきではない。

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できれば私も、受動的で満足して生きられるタイプでありたかった。

文章を書いたり、写真を撮ったり、たまにギターで作曲したりするのも楽しいが、能動的に行動していれば少しずつ疲れてくる。

そうしたときにYouTubeを見たり、映画やアニメを見たりして休もうと思うが、そうした時間さえ浪費していると感じてしまうのだ。

休むために受動的になっているのに、何もせず何時間も時間が過ぎ去っていくことに罪悪感を感じ、しまいにはストレスさえ感じてしまう。

 

能動的にはお金がかからない

でも、能動的な気質で良かったこともある。充足感を感じるためにお金を必要としないのだ。

文章なんてスマホさえあればいつでも好きなときに書けるし、写真だってカメラさえあれば撮れる。

作曲もギター1本あれば可能だし、筋トレも自重力トレーニングであれば自分の体さえあればできる。

能動的であることのメリットは、自分の頭と体、そして心で満足を生み出せる点にあるのだ。

娯楽に関して言えば、能動的なものよりも受動的なものはお金がかかることが多い。

たとえば、旅行を例に考えてみよう。

旅行は自分で行動しているのだから、一見、能動的だと思いがちだが、「どこか別の場所」へ行かなければ満足できないという観点から言えば、旅行という完成された娯楽を享受している状態なので、受動的に分類される。

ほかにも、映画やアニメなどはサブスクで見られるようになったとは言え、Youtubeなどたくさんのサブスクを契約していると、自分でも気づかないうちに固定費として毎月それなりのお金がかかってしまう。

本やゲームを買ったりするのも同じで、自分以外のものから楽しみを受け取ろうとすると、どうしてもお金がかかってしまうのだ。

 

自分に合った娯楽で人生を楽しもう

今現在、何も持っていなくても、能動的であればゼロから楽しみを生み出すことができる。

世の中が作った娯楽ではなく、自分なりの娯楽というやつだ。

完成された娯楽を受動的に享受するためにはお金がかかるが、自分で自分を満足させる娯楽を能動的に体験するのにはお金はかからない。

いい文章が書けたとき、いい写真が撮れたとき、いい曲が作れたとき。今たしかに生きていると実感することができる。

日常に満足しているようで、どこか不満や満たされなさを感じているのであれば、自分が受動的に娯楽を享受するタイプか、自分から娯楽を生み出す能動的なタイプなのかを考えてみよう。

世の中は娯楽で溢れ返っているが、だからこそ自分なりの娯楽の楽しみ方を知らなければならない。

自分の気質に合わない娯楽に時間を使っていても、心は満たされず、逆にストレスになってしまう。

人生を最大限楽しむためにも、ただ娯楽を享受するのではなく、自分に合ったタイプの娯楽に時間を使うようにしよう。

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