最終更新日 2024年5月11日
「人の役に立ちたい」「誰かの役に立ちたい」と思う気持ちは人間にとって自然なものである。
毎日意味があるかわからないような仕事をしていると、もっと直接的に誰かの役に立つような仕事をしたいと思うことも少なくない。
心理学者であるアルフレッド・アドラーは、「他社貢献」こそ豊かな人生を送るコツだと述べている。
自分個人の利害のために生きるのではなく、他者の役に立つことをし、社会の中で一緒に生きる共同体に貢献することこそ、人は豊かに幸せに生きられるのだと言う。
近年は「自分の好きなように生きろ」というフレーズがSNSを中心に溢れているが、その意味を「自分のことだけを考えて好き勝手に生きろ」と間違って解釈している人が多い。
一見、人生は自分の好き勝手に生きれば幸せなような気がするが、それは間違いである。
アドラー先生も「自分のことばかり考えているからこそ、人は不幸になる」とも述べている。
人の役に立ちたい、誰かの役に立ちたいと思うことは幸せな人生への第一歩だ。
人は誰かのために生きてこそ、自分を含めた共同体という社会のために生きてこそ、幸せに生きられるのである。
人の役に立ちたい=社会的欲求
人間は社会的な動物であるため、人とのコミュケーションを本能的に求める生き物だ。
誰しも「人とつながりたい」という欲求を持ち、他人と接することで社会とのつながりを持つことができる。
X(旧Twitter)やインスタグラムなどのSNSが流行るのも、根本的には「誰かとつながりたい」「誰かに見てほしい」「誰かと話したい」という欲求があるからこそだ。
心理学的には、他人とのつながりを求める欲求は「社会的欲求」と呼ばれている。
人には社会とつながり、他人とコミュニケーションをとり、人の役に立ちたいという欲求が生まれつき備わっているのだ。
そして他人とのつながりの中にこそ、生きがいや充実感、幸せといったものが眠っている。
つまり、社会的欲求を満たすことは、そのまま人生の幸福度に直結するのである。
私たち人間がどのようにして幸せや喜びを感じるのかを考えれば、人の役に立ちたいという社会的欲求を満たすことがいかに大事かがわかる。
今まで自己中心的に生きてきた人でも、ふとした時に「誰かのために生きたい」「人の役に立つことがしたい」と思うときがいつか来るだろう。
人間の社会的欲求は、社会の中で生活していれば意識せずとも自然と湧いてくる欲求なのである。
社会的欲求を満たして人の役に立つ
人の役に立つには社会的欲求を満たすのが大事だとわかっても、肝心の満たし方がわかっていなければ意味がない。
社会的欲求は人とのつながりの中で満たされるものであり、社会的欲求さえ満たせば誰かの役に立つことができる。
つまり、人の役に立ちたい・誰かの役に立ちたいという思いは社会的欲求を満たすことで実現でき、その社会的欲求を満たすには人の役に立つ・誰かの役に立つ必要があるということだ。
では、具体的にはどうすればいいのだろうか?
「承認欲求」と「自己満足」という欲求と感情を満たすように行動するのだ。
承認欲求は「誰かに必要とされたい」「他人から認められたい」という欲求であり、自己満足とは「自分自身が満足している」という感情を指す。
社会的欲求を満たしながら人の役に立つには、この2つを満たすことが大事である。
承認欲求を満たしているだけでは、他人のことばかり考えて自分の喜びなどが蔑ろにされやすい。
逆に自分の喜びばかりに焦点を当て、自己満足的に生きていたとしても、自分のことばかり考えて生きている人生に嫌気が差してくる。
承認欲求は「他人」がベースに、自己満足は「自分」がベースになっているため、一見この2つは相反するものだと思いがちだが、それは間違いだ。
人や社会の役に立ち、本当の意味で幸せな人生を送るには、承認欲求と自己満足の両方を満たさなければならないのだ。
自分の好きなことを通して他人から認められる
人の役に立っている人は、自分のやりたいことを通して誰かの役に立っていることが多い。
たとえば、仕事でいえば「人の役に立つ仕事」は世の中にたくさんあり、介護職や接客業、人とのコミュニケーションを通じる仕事などは人の役に立っている仕事だといえる。
自分がしたことに対して、相手から「ありがとう」と言われればやりがいが生まれ、自分は人の役に立っていると実感するだろう。
さきほども言ったように、人の役に立っていると感じるためには社会的欲求を満たす必要がある。
そして、社会的欲求を満たすには「承認欲求」と「自己満足」の2つを満たさなければならない。
そして、そのためには自分の好きなことを通して他人から認められるのが一番だ。
承認欲求とはその言葉のとおり、人から承認されれば満たすことができ、自己満足は自分が満足を感じることをすれば満たせる。
言い換えると、自己満足を感じることをしつつ、他人から認められることが大事なのだ。
自己満足を満たしつつ、他人から認められるのは難しいと思うだろうが、それは誤解である。
たとえば、「ゲーム好き」という人の役に立たなそうな趣味でも、ゲームをすることで自己満足を満たし、ゲーム実況などで見ている人を楽しませることができる。
ゲームをすることで自己満足を得て、他人を楽しませて承認欲求を満たすことで、人の役に立つことができるのだ。
人の役に立ちたいなら他人からどう認められるかが大事
一般的には、ゲームをすることよりも、曲を作ったり本を書いたりすることのほうが価値があると思われている。
しかし、価値というのは他人から認められているかどうかによって決まり、その価値は表面的な価値であって本質的な価値ではない。
人の「好きなこと」の間には本質的な価値の差は存在しない。
ゲームをすることと作曲すること、本を書くことと写真を撮ることの間には何の差も存在しないのだ。
ゲーム実況で何万人も視聴者がいて、その人たちが配信を見て楽しんでいるのであれば、ゲームすることに価値が生まれる。
その一方で、曲を作ったり本を書いたりしても、誰も見たり聞いたり楽しんだりしないのであれば、そこに価値は生じない。
表面的な価値は「どれだけ他人の役に立っているか」で測れるが、本質的な価値はどんなことであっても変わらないのである。
つまり、人の役に立ちたいと思ったときは「なにをするか」ではなく「どう他人から認められるか」が重要なのだ。
やりたいことよりも誰かの役に立てることを探すほうが簡単
ただ「人の役に立つか」という視点で考えると、自己満足を蔑ろにして承認欲求だけを求めてしまう恐れがある。
逆に、自己満足的に生きていたとしても、承認欲求が満たされなければ自分のためだけに生きていることに嫌気が差してくる。
何度も言うように、人の役に立つには自己満足と承認欲求を同時に満たす必要があるのだ。
承認欲求を含めた社会的欲求は、食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求と比べても遜色がないぐらい強い欲求である。
それはつまり、社会的欲求を満たすことができれば、人の役に立ちつつも人生や自分自身に満足できるということでもある。
人の役に立ちたいと思うのであれば、社会的欲求を満たすことが一番の近道なのだ。
何でもできる現代でやりたいことがないと悩む人は多いが、やりたいことを探すよりも「誰かの役に立てる方法」を探すほうがずっと簡単である。
人の役に立ちたい、誰かの役に立ちたいと思っている人は、承認欲求と自己満足を満たしつつ、自分の中の社会的欲求を満たすようにしてみよう。
そうすれば、自分は誰かの役に立っていると心の底から実感できるだろう。
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