最終更新日 2024年4月23日
30年以上生きてきて改めて思うのが、人間関係は価値観よりも距離感が大事ということ。
私はたぶん人見知りではなく、知らない人とでも気軽に話せるほどには社交的である。
でも、それは「気軽に話せる関係」を築くのがうまいだけで、「信頼性のある深い関係性」を築くのは苦手だったりする。
一般的に、友達と言えば「悩みを相談できる」「素の自分が見せられる」「気を遣わない」「一緒に居て気が楽」といった関係性の人のことを指す。
だが、私の中での友達は「気軽に話せる関係性」であって、それ以上でもそれ以下でもない。
世間ではそれは友達ではなく単なる「知り合い」に分類されるかもしれないが、私からすれば知り合いも友達も同じような意味である。
だから、友達だからといって自分の悩みを相談することはあまりないし、素の自分を見せているわけでもない。
どんな関係の人とも話すときもある程度は気を遣うし、長時間一緒に居ると疲れてしまうのだ。
私の人間関係の距離感
私の中での友達の定義は、普通の人が思う定義とはちょっと違う。
「友達だから」という理由で何でもかんでもさらけ出したりはせず、常に一定の距離を置いている。
付き合いの長い友達であっても、お互いに価値観が変わって話が合わなくなった思ったら少しずつ距離を置いて離れていく。
寂しいからという理由で人と会うのは苦手で、基本的には久しぶりに会いたいと思う人としか会わない。
こうした友達の定義みたいなものは、周りの人たちの友達の定義とは違う。
だから必然的にどこかのタイミングで関係性に溝ができてしまう。
何でもさらけ出せれば気が楽なのだろうけど、自分の中にはどうしても他人には見られたくない側面がある。
意図的にあえて隠してるわけではないが、相手からすれば隠し事されているようで気分は良くないだろう。
空気が読めない人でもない限りは、相手の挙動や雰囲気から距離を置かれているのかどうか、自分に興味があるのかどうか、信頼されているのかどうかなど、ある程度は相手のことがわかる。
信頼関係は腹の内を見せ合うことで築かれるものだからこそ、一線の距離を置いて付き合っているとそこまで深い関係性にはなれないものだ。
そして深い関係性ではない友達は、数か月もすればいなくなるのが常である。
人間関係の問題の多くは距離感の問題
友達が多いから幸せなわけではない。友達が少ないから不幸なわけでもない。
昔から「幸せになるには充実した人間関係が必要」と言われているけれど、充実した人間関係を持たずして幸せに生きている人だっている。
何が正解で何が間違いなのかはわからない。人それぞれ生き方も価値観も考えも違うのだから、自分に合った人付き合いと人間関係を構築して生きていくしかないのだ。
人間関係でストレスを感じたりするのは、自分が思うベストな距離感と、相手が思うベストな距離感の食い違いにある。
自分はある程度一定の距離を置いて付き合いたくても、相手が限りなくゼロ距離を求めてくればうまくいかない。
逆に自分は距離感をできるだけなくした付き合いをしたくても、相手が一線を置く距離感を保っている場合もうまくいかない。
恋愛のすれ違いの多くはまさにこれである。
お互いベストな距離感で付き合っていないと、どこかで関係に溝が入りうまくいかなくなってしまう。
好きとか嫌いとか冷めたとかいったことではなく、単なる人間関係の距離感の問題なのだ。
恋人だろうが友達だろうが、他人は他人である。
人には他人には入ってもらいたくない領域みたいなものがひとつくらいはあるものだ。
自分に合った人間関係の距離感を見つける
人間関係では価値観が合うかどうかが大事だと言われるが、本当に大事なのは距離感だと思う。
自分が相手に求める距離感と、相手が自分に求める距離感、そこがマッチすれば人間関係はうまくいく。
距離感が合わないと相手を批判したり否定したりし、関係は長く続かない。
私はどんなに気の合う人でも、一定の距離感を保ちながら付き合いたいタイプなので、近接タイプの距離感の人とは合わない。
友達だからといって何でも間でもさらけ出したりはしないし、相手にも求めない。
ただ、お互い心地よい距離感を保っていればそれでいい。
人間関係を狭く深くか、広く浅くかで考える人も多いが、それで言うと私は間違いなく後者である。
特定の一部の人と深い関係を築くよりも、幅広く一定の距離感を保った友達や知り合いがいるほうが好きだ。
散歩しながら出会う人とする世間話だけでも、じゅうぶん人間関係の充実を感じられる。
友達は多いほうがいい、充実した人間関係が幸せになる秘訣だ、といった意見を否定するつもりはないが、人間関係の築き方はみんな違う。
自分に合った人間関係の距離感を見つければ、人間関係で悩むことも減るのではないかと思う。
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