【人生の価値観】自分が価値があると思うものこそ、人生で本当に価値のあるもの。

Pocket

最終更新日 2024年4月27日

人生で本当に価値があるものって何だろう?

あたり前のことだが、人によって何に価値を感じるのかはまったく異なる。

おいしいものを食べることに価値を置く人もいれば、旅行することに価値を感じる人もいる。

おしゃれな服をたくさん買うことや、友人や恋人と遊んだりお酒を飲んだりする時間に価値を感じる人もいる。

「価値」という言葉はとても抽象的なものであり、実際、人生において普遍的な価値を持っているものは何一つとして存在しない。

私たちが価値があると思っていることのすべては、私たちが価値をつけたからこそ価値がついているのである。

お金について考えてみればわかるように、一万円札は単なる紙切れであり原価は20円前後だ。

にも関わらず、日本という国の中ではその紙切れに500倍もの価値がつけられている。

こうした価値は、私たち一人ひとりが原価20円前後の一万円札に価値があると思い込んでいるからこそ、日本社会の中では一万円札によってさまざまなものを買うことができる。

では、人生の価値観についてはどう考えればいいのだろうか?

 

人生の価値観を考える

人生の価値観について考えるときは、自分という人間はどんなことに価値を感じるのかを考える必要がある。

どのような価値観を持つのかは、そのまま人生の充実度や幸せにも大きく関係してくるため、決して適当に選んではいけない。

自分が何に価値を感じているのか、他人や社会や世間ではなく、本当に自分にとって価値があることは何なのか。

だが、はじめにも言ったように「価値」という言葉は抽象的なものであり、「価値がある」と言われているものでも、自分にとって価値があるとは限らない。

つまり、価値観というのは大雑把に「絶対的価値」「相対的価値」に分けることができるのだ。

まずはこの二つの価値について考えてみよう。

 

絶対的価値

絶対的価値というのは、簡単にいえば本質的な価値がついているものであり、分類としては普遍的な価値に近いものである。

普遍的な価値はすべての人に共通して価値があると認められるもののことだが、はじめにもいったように普遍的な価値というのは人生の中には存在しないと私は思っている。

私たちが価値があると感じるもののすべては、私たちが価値をつけることによって価値がもたらされているだけにすぎない。

しかし、絶対的価値はすべての人に共通する普遍的な価値ではないにしろ、ほとんどの人たちにとって価値があるものである。

社会や他人といった枠組みの中で価値が生み出されるものではなく、それ自体に価値があると多くの人が認識しているもの。

具体的にいえば、命や健康、心や知識、道徳や倫理、食事や睡眠といったものが当てはまる。

こうしたものはそれ自体に価値があると多くの人が認識しており、社会の中では常識として多くの人の中に入り込んでいるだろう。

「命を大切にしましょう」「健康第一」といった言葉をよく耳にするように、実際、多くの人たちが命の大切さや健康の大切さを実感しているはずだ。

絶対的価値は時間とともに薄れていくものではなく、人として生きているのであれば、誰もが価値があると感じるものの総称である。

そして、人生においてもかけがえのないものだ。

それらの価値は自分でさらに高めていくことができ、価値は磨けば磨くほど輝いていく。

絶対的価値を大事にして生きていくことは、社会や他人といった存在に惑わされずに、自分らしい人生を生きる指針となるだろう。

 

相対的価値

一方、相対的価値というのは、社会や他人の中で価値があるものであり、それ自体に価値があるわけではない。

具体的には、お金も相対的価値の一つだと言えるし、ほかにも、家や車、時計やバッグ、アクセサリーやブランド品といったものはすべて相対的価値に当てはまるものだといえるだろう。

つまり、社会に流通している消耗品などは、すべて相対的価値のものであるといっても過言ではない。

さらにわかりやすくいうと、一般的に「消費」や「浪費」と言われるもののほとんどは、相対的価値だといっても間違いではないだろう。

消費や浪費は「他人」がいて「社会」があるからこそ価値が生まれるものだ。

「他人」や「社会」がなければ価値がなくなるものは、絶対的価値ではなく相対的価値だということになる。

おしゃれな服というのも、地球上に自分以外誰もいなくなれば価値を感じなくなるだろうし、服は他人(特に異性)がいるからこそ価値が生まれる。

豪華な住まいや高級スポーツカーというのも、「社会」があり「他人」がいるからこそ価値があると感じるのである。

こうした相対的価値は、絶対的価値に比べて本質的に意味があるものではなく、なくても生きていくには支障のないものだ。

相対的価値は、あくまでも社会と他人によって価値がつけられており、社会や他人に振り回されずに生きていきたいのであれば、相対的価値のものは必要ない。

 

人生の価値観=自分が価値があると思うもの

人生の価値観を考えるときは、「絶対的価値」と「相対的価値」の違いを認識しておくことが大事である。

では、人生で本当に価値のあるものとは何なのだろうか。

その答えはいたって単純であり、「自分が価値があると思うものが、人生で本当に価値のあるもの」である.。

人が何に価値を置くのか、という人生の価値観は一人ひとり異なっている。

そのため、価値観には正解というものは存在しなく、自分が納得しているのであればそれが正解となる。

友達とワイワイお酒を飲んで楽しんだり、豪華な食べ物を食べたり、ブランド品に身を包んだりすることに幸せを感じるのであれば、あなたは相対的価値観の中で生きていく人間だろう。

それに対し、知的好奇心を満たすために本を読んだり勉強したり、健康のために運動したり、消費行動ではなく生産的な活動、ただ生きることに価値を感じたいのであれば、あなたは絶対的価値観の中で生きていく人間である。

何度もいうが、これはどちらが正解で価値があるという問題ではない。

大事なのは自分が納得して生きているかどうかなのだ。 

もし、友達とバカ騒ぎしたり週末に遊び回る生き方に、寂しさや虚無感、孤独感や空虚感を感じているのであれば、今の価値観や生き方に納得していないのかもしれない。

充実した生活を送っていたつもりが、いつしか人間関係に嫌気が差し、精神的に疲弊してしまう場合も、今の価値観や生き方が自分に合っていないのかもしれない。

絶対的価値と相対的価値のどちらに価値観を置くかは自分次第だ。

人生の価値観はそのままあなたの生き方を決めることになるので、しっかりと自分が価値があると思うものを見極めて生きていこう。

【水のように生きる】不安や迷いをなくし自然体で生きる方法。

2024年4月20日

幸せそうに見える人が幸せとは限らない【自分なりの幸せを見つける】

2024年4月19日
Pocket

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です