頭が良くなりたいなら論理的思考力を鍛えること【頭の良さ=テストの点数ではない】

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最終更新日 2024年5月12日

近年は昔よりも学歴の信用が崩れ去っていて、頭の良さは単純に学歴だけではわからなくなっている。

有名大学を出ている人と高卒で働いている人を比べてみても、大卒なのに仕事ができずにミスばかりしている人も多い。

一方、高卒の人が会社のエースとなって社内の中で活躍していることも珍しくはない。

仕事ができるかどうかと学歴があまり関係がないように、頭の良さと学歴も実はあまり関係がない。

学歴は「教室の中で役立つ知識を持っています」という意味であり、実生活で求められるのは「あらゆる場面に対応できる頭の良さ」である。

つまり、たくさん勉強したとしても、必ずしも頭が良くなるわけではないのだ。

では、頭が良くなりたい場合はどうすればいいのだろうか?

 

「頭が良い」とはどういうことか?

頭の良さは決して学歴だけで測れるものではなく、たとえ東大や早稲田や慶応といった大学を出ていても、本当に頭が良いかはわからない。

高い学歴を持っていても、仕事ができない人や社会の中で他人に迷惑をかける人、救いようのないほどのバカな人は世の中に少なからずいる。

「頭の良い」の定義は人それぞれ違うかもしれないが、ここでは「頭が良い=物事をあらゆる角度から考えられること」と定義しよう。

履歴書に書き込む大学名だけが自慢の人は、「教室」という限られた空間でのみ役立つ知識をたくさん脳みそにインプットしている。

こうした人たちは自分が知っている知識を過大評価し、物事を単純化して教室の中に押し込んで考えるクセがあり、自分が知らないことや、教室の外の物事について思考することが苦手である。

食事を例に考えてみると、学歴がある人たちは個別の食品の栄養素にのみ着目し、納豆と玄米さえ食べていれば健康になれると思い込む。

しかし、食品の栄養素というのは相互に影響し合っているものであり、どの食品のどの栄養素が人間のどの部分に健康的な影響を与えるのかを完全に知ることはできない。

食品の栄養素の相互作用が複雑すぎるのに加えて、人間の体と栄養素の相互作用も複雑すぎるからだ。

こうした枠の外の相互作用について考えられることが、「頭が良い」ということである。

 

勉強では頭は良くならない

一般的に、頭が良くなりたいなら勉強しなければならないと思われている。

私たちは子どもの頃から、テストでいい点を取って親を喜ばせるために「勉強しろ」、良い高校に入るために「勉強しろ」、就職で有利になる大学へと進むために「勉強しろ」と耳にタコができるほど言われる。

でも少し考えるだけで、学歴と頭の良さは比例しないこと、教科書の問題をスラスラ解けることと社会の中でうまくやっていけることには関係がないことに気づくだろう。

いくら数学の難問を解く方程式を覚えていたとしても、数学者や物理学者にでもなろうと思わないのであればまったく意味のない知識である。

日常生活で身の危険を感じたときに、頭の中が数学の方程式で埋め尽くされていれば、逃げ遅れて死んでしまう。

世の中に蔓延している常識は噓ばかりである。

頭が良いというのは勉強ができるできないではなく、日常生活で直面するあらゆる出来事に対して、柔軟かつ冷静に対処できる能力を指すものだ。

攻撃力が高い剣を持っていたとしても、剣の扱い方を知らなければ宝の持ち腐れである。

知識や学歴というのも同じであり、知識を持っていたとしても、知識を生かすだけの頭の良さがなければならない。

学歴も自分が持っている知識を有効活用できなければただの肩書きに過ぎず、ただ面接官を喜ばせるためだけのものになる。

つまり、頭が良くなりたいのであれば、勉強だけを頑張るのはナンセンスなのである。

 

頭が良くなりたいなら考える力を鍛える

社会の中で本当の意味で役立つ知識というのは、教室の中でだけ活躍する知識ではない。

実生活にきちんと地に足がついている知識こそが人間にとっての頭の良さであり、仕事や人間関係といった社会の中で活躍する知識である。

こうした頭の良さは、イスに座って教科書を開いて何時間も勉強したとしても身につかない。

サッカーが上手くなりたいのに、リフティングばかりしているようなものである。

物事をあらゆる角度から考えられるのは考える力がある人であり、考える力は考えることでしか鍛えられない。

勉強すれば頭が良くなると思っている人は、努力の成果を時間で測るクセがあり、とにかく時間をかければ頭が良くなると思っている。

しかし、あなたの目標が「今よりも頭が良くなりたい」であるのなら、開くだけで眠たくなってくる教科書は必要ない。

頭が良くなりたいのであれば、何よりも考える力である「論理的思考力」を鍛えなければならない。

 

頭が良くなりたい人は論理的に考えよう

フランスの哲学者であるデカルトは、物事や認識のすべてを疑い、最終的にたどり着いたのが「コギト・エルゴ・スム(我思う、ゆえに我あり)」という状態である。

デカルトは以下のように言っている。

「たとえ現実に存在するものすべてが疑わしいとしても、考えるという行動をしている自分は間違いなくここに存在している、考える自己こそが現実の中で唯一信頼できるものだ」

ライオンの武器は牙であり、クマの武器は爪、では、人間の武器は?

そう、脳である。

人類とほかの動物とのもっとも大きな違いは脳であり、人間は脳を武器にしてきたからこそ霊長類のトップとして現代に君臨できている。

だが、武器は手入れを怠るとすぐに錆びついてしまう。

「頭が良くなりたい」というのは人間の純粋な欲求であり、武器をより一層強力にし、生存確率を高めるための手段である。

身の回りの物事を論理的に考えることで考える力が鍛えられ、本当の意味で頭が良くなっていく。

教科書に載っている問題を解けることや、テストで良い点数を取ることが、頭が良いということではない。

私たちが生きる社会の中で求められる頭の良さというのは、物事をあらゆる角度から考えることができる論理的思考力である。

頭の良さは先天的な知能によってある程度決まると言われているが、だからといって頭が良くならないというわけではない。

頭が良くなりたい人は、実生活の中で役立つ本当の頭の良さを身につけるため、考える力を常日頃鍛えるようにしてみよう。

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