退屈な人生に必要なたった一つのもの【退屈な人生を変えたい人へ】

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最終更新日 2024年5月9日

現代は「人生100年時代」とも言われ、昔よりも医療が発達したために誰もが長生きをする時代に突入している。

昔から人は長生きすることを願い、少しでも長い人生を送ろうと夢見てきた。

しかし、現代人にとって100年続く長い人生というのは、逆に重荷になっているようにも感じる。

実際、多くの人は人生でやりたいことが見つからず、退屈を抱えながら生きている。

子どもの頃や学生の頃は友達と遊ぶことが世界のすべてであり、友情と恋愛に勤しんでいれば余計なことを考えずに、それなりに楽しく毎日を生きられていた。

だが、学校を卒業して社会に放り出された大人たちは、実生活では役に立たない知識ばかりが頭の中を占め、人生を生きる上で大切な「生き方」については何も学んではいない。

だからこそ、大人になったら退屈な人生に嫌気が差してしまうのである。

生き方を学ぶというのは楽しみ方を学ぶという意味でもあり、お金を消費することでしか楽しみを買えない人は、往々にして人生に行き詰まってしまう。

「退屈な人生」というのは、生き方を学んでこなかった大人がぶち当たる障害なのである。

 

退屈な人生に感じるのはなぜか

退屈な人生について考えるときはまず、「なぜ人生に退屈を感じるのか」を理解するのがいい。

退屈というのは、単に忙しく過ごしていれば感じないわけではなく、それなりに多忙な毎日を送っていても退屈な人生になることがある。

「退屈」とは複雑な要因が絡み合って感じるものであり、ゆえに退屈な人生というのは難しい問題のひとつでもある。

たとえば、多くの人たちは「暇」と「退屈」を同じように考えているが、この2つはまったくの別物だ。

暇というのは「時間を持て余している状態のこと」を指し、退屈というのは「やることがあるけどつまらないと感じている状態のこと」なのである。

 

「暇」と「退屈」の違い

何をしてもいいけど何もすることがない状態は「暇」、仕事や遊びをしているのにつまらないと感じている状態は「退屈」である。

ブラック企業にも勤めていない限りは、誰もが暇な時間を経験したことがあるだろう。

仕事が終わって家に帰り、ご飯を食べたりお風呂に入ったりして余った時間、何をしてもいい余暇の時間、それこそが人間にとっての暇な状態である。

暇な状態は決して悪いものではなく、暇を埋めるために人はゲームをしたり読書をしたり、友達や恋人と連絡をとったり遊びに出かけたりする。

暇は時間を持て余している状態なので、やるべきことがあったりやりたいことがあれば暇な状態からすぐに脱出することができる。

しかし、退屈の場合はそうはいかない。退屈というのは「やることがあるけど、つまらないと感じている状態のこと」である。

つまり、仕事や趣味、娯楽や遊びなどで表面上は忙しく過ごしていても、そこにつまらなさを感じていれば退屈な人生になってしまうのだ。

 

人間にとってもっとも苦痛なのは退屈な人生

退屈な人生だと思っている状態は、時間を持て余している状態の「暇」とは異なるため、どれだけ予定を詰め込んでも退屈な人生であることは変わらない。

退屈な人生を変えるために色々な趣味や娯楽に手を出しても、心がつまらないと感じていれば、退屈な人生から抜け出すことはできないのである。

実際、人間にとってもっとも苦痛なのは、友達が少ないことでも、お金がないことでも、恋愛ができないことでもない。孤独を感じることでも、仕事をクビになることでも、受験に失敗することでもでもない。

人間にとってもっともつらくて苦しいことは「退屈な人生」なのだ。

はじめにも述べたが、退屈は複雑な要因が絡み合うことで感じる状態である。

やりたいことをやっていても退屈を感じている人もいるだろうし、周りから見れば多忙で退屈しなさそうな毎日を送っている人でも、本人は退屈を感じていることもある。

退屈な人生がこの先100歳ぐらいまでずっと続くのは、ある意味地獄といっても過言ではない。

だからこそ、現代には早々に人生に絶望を感じ、この先も楽しいことは何もないと思い込み、退屈な人生に嫌気が差して自ら命を絶ってしまう人が少なくないのだろう。

 

過ごし方によって退屈な人生になる

人間が仕事をしたり友達と遊んだり恋愛を楽しんだりするのは、退屈な人生から逃れるためである。

人間は本能的に退屈を恐れ、退屈な人生を逃れるために行動しているのだ。

フランスの哲学者であるパスカルは、以下のように述べている。

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。

部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。

そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。

パスカルをはじめ、ラッセルやハイデガーといった大哲学者たちも、人間は退屈な人生に耐えることができないと結論している。

人間は部屋でじっとしていられないからこそ、外の世界に飛び出して人間関係を楽しんだり、娯楽にハマり込んだり、旅行などの気晴らしに時間を捧げるのである。

だが、そうした退屈な人生を解消する手段がない人は、人生に虚無感と空虚感と絶望感を感じてしまう。自分にはこの世界に居場所がない、と思ってしまう。

毎日楽しく人生を謳歌している人がいれば、体躯な人生に嫌気が差している人もいる。長い人生にうんざりしている人もいれば、人生は短いという人もいる。

両者の違いは、単純に人生の過ごし方にある。

好奇心旺盛で探求心が強い人は人生を短く感じ、毎日やることが仕事ぐらいしかなく、お金のために生活している人は退屈な人生だと感じる。

退屈な人生を変えるためには、できるだけ退屈を感じないようにしなければならない。

では、どうすれば退屈な人生を変えられるのだろうか?

 

退屈な人生に必要なたった一つのもの

現代は昔と比べて娯楽やサービスが溢れかえり、スマホやパソコンを持っているだけで誰でもインターネットを使用できる環境が開かれている。

いつでも好きなときにインターネットに接続し、娯楽やサービスを享受できる環境がそこにはある。

こうした、娯楽や無料のサービスなどが溢れかえっている時代に生きているにも関わらず、退屈な人生を感じてしまうのはなぜか。

実際、人生を思いっきり楽しもうと思えばそれなりにお金が必要になる。

しかし、だからといってお金が退屈な人生を変えてくれるわけではない。お金はあくまでも人生を楽しむための一つの手段であり、目的ではないのだ。

退屈な人生を変えるためには別の「何か」が必要である。

では、その「何か」とは何だろう?

 

退屈な人生を変えるのは「好奇心」

単純すぎてガッカリするかもしれないが、退屈な人生を変えてくるのは自分の中にある「好奇心」である。

たとえどれだけお金があったとしても、好奇心がなければ何をしても退屈な人生を感じてしまう。

今現在、退屈な人生だと思っている人は、自分の胸に手を当てて考えてみてほしい。

きっと「何にも興味が湧かない」「新しいことをする気が起きない」「何もしたくない」と思っているだろう。

何にも興味が湧かないのは、自分の中の好奇心が枯れているからだ。

新しいことをする気が起きないのも、何もしたくないというのも、子どもの頃は持っていたであろう好奇心がなくなってしまっているからである。

好奇心がなくなると身の回りのすべてを「きっとつまらないだろう」という先入観で決めがちになる。

つまり、退屈な人生だから興味が湧かないのではなく、好奇心がなくて興味が湧かないから退屈な人生になっているのである。

 

人生の物事を「どう感じるか」が大事

退屈な人生だと思っている人は、やることがあってもつまらないと感じている。

退屈な人生とはやりたいことがないのではなく、人生のすべてに興味が薄れている状態である。

一方、好奇心を持って生きている人は、人生で退屈を感じる時間が少ない。

世の中には楽しいことがたくさんある。

社会や文化、歴史やテクノロジー、映画やアニメ、ドラマやゲームといったコンテンツ。

音楽や写真、読書や絵といったアートな分野、サッカーや野球、スノボやマラソンといったスポーツ。

ほかにも、友情や愛情、恋愛といった人間関係など、自分が楽しもうと思えば楽しいと感じられるものはすぐそばにある。

大切なのは、人生の趣味や娯楽、学問や人間関係などを「どう感じるか」である。

好奇心が強い人にとっては「100年の人生」は短く感じる。

それはたった一つ、ただほかの人よりも好奇心を強く持っているだけなのである。

 

退屈を紛らわすものを見つける

よく、「足るを知れ」「今の状態に満足を感じることが大事」と言われるが、それは退屈を我慢しろという意味ではない。

その言葉の本当の意味は、「今自分が所有しているものの中で、退屈を紛らわす方法を見つけろ」という意味である。

ここまで述べたきたとおり、退屈な人生というのは重要な問題である。

退屈な人生だと思っている人に必要なのは、今あるものでうまく退屈を紛らわす方法を見つけることだ。

そして、そのためには身の回りのものに興味を持つための好奇心を強く持たなければならない。

現代で好奇心を持ち続けるのは言うほど簡単ではない。

現代は娯楽やサービスが溢れかえっているため、その選択肢の多さが逆に好奇心を失わせてしまっている。

しかし、何でもいいから身の回りのことに意識的に興味を持つようにし、何事も好奇心のままに楽しむようにすれば、時間や退屈を忘れて没頭するものが何かひとつは見つかる。

好奇心を持ちながらあらゆるものに興味を持つようにすれば、退屈な人生とは無縁の人生になるだろう。

 

退屈な人生とは無縁の人生を生きよう

退屈な人生に苦しんでいる人に足りないのは想像力である。

毎日の中に楽しいことを見つけられないからこそ、退屈な人生になるのだ。

チャップリンもこう言っている。

「人生は恐れさえしなければ素晴らしいものになる。 必要なのは勇気と想像力…そして少しばかりのお金だ」

仕事をし、それなりに忙しく過ごしているのに退屈な人生だと思っている人。

友達や恋人と遊んだりしていても、どこか心が満たされずに退屈な人生だと感じている人。

そうした人は、まずは目の前のものを一つひとつ楽しむことからはじめてみよう。

何度も言うが、退屈な人生だと思ってしまう原因は、自分の中の好奇心が薄れていることにあるのだ。

仕事、趣味、娯楽、友情、愛情、人間関係、そして自分の生活そのもの。

目の前のことを楽しめるようになれば、退屈な人生だと感じることはなくなる。

人生100年時代。退屈を感じながら惰性で生きるよりも、時間を忘れて心から没頭できるものを見つけ、退屈な人生とは無縁な人生を生きていこう。

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