最終更新日 2024年5月6日
多くの人は「結果」ばかりを重視し、そこに至るまでの「過程」をおろそかにしがちだ。
たとえば、スポーツの試合ではどんなにいい試合をしても「勝たなければ意味がない」と言われ、仕事もどんなに頑張って努力したとしても「結果が出なければ意味がない」と言われる。
だが、それは「どんなことでも結果がすべて」というわけではない。
物事には結果だけでは決して語れないものがあるのも事実であり、とりわけ「人生」においては、結果よりも過程のほうが間違いなく大事である。
つまり、死に方よりも生き方というわけだ。
どんなに長く生きたとしても、毎日惰性でつまらなく生きていれば意味がない。短い人生だろうと、毎日充実した1日を過ごしていれば満足できる。
結果はただの結果であり、過程の積み重ねの先にあるものなのだ。
結果は過程の集合体
人生以外にも、結果より過程が大事なものはたくさんある。
というよりも、結果を出すために過程が重要であるとすれば、どんな事においても結果よりも過程のほうが大事だと言える。
結果というのは過程の集合体であり、過程なくして結果は生まれない。
過程の質が悪ければ結果もダメになるし、過程が良ければ自ずと結果も良くなる。
そういった観点から考えてみると、「夢」や「目標」というのは、結果を出すためには実は弊害になるのではないかと思ったりもする。
夢や目標は、言い換えれば結果の集合体である。
小さな結果が集まり、スライムが合体してキングスライムになるように、結果が合体して出来上がったものを、私たちは「夢」や「目標」と呼ぶ。
つまり、夢や目標が結果の集合体であり、その結果の集合体が過程の集合体ということになる。
となれば、当然もっとも大事なのはすべての集合体の始まりの過程である。
過程がなければ結果は生まれず、結果がなければ夢や目標も叶わない。
結果は下から順々に、ボトムアップ的に生成されていくものなのだ。
過程を大事にしないと結果は出ない
さきほど、夢や目標は弊害になるのではないか、と述べた。
これはつまり、夢や目標をまるで宝石のように大事に抱え、宝石を作っている肝心の素材に関しては無頓着になるのではないか、という意味である。
どんなに高価な宝石であっても、素材がへなちょこであれば、作られる宝石もへなちょこなものにしかならない。
見た目だけは綺麗に誤魔化すことはできるかもしれないが、素材がへなちょこだと数ヶ月もすれば欠陥が見えてくる。
意識高い系やインフルエンサーが不祥事や炎上でメッキが剥がれるのに似ている。本質を誤魔化すことはできないのだ。
物事における結果というのは、あくまでも結果でしかない。
過程がなければ結果は生まれないし、結果がなければ夢や目標も叶わない。
つまり、本当に目を向けるべきは過程であり、結果ばかり重視していても夢や目標には届かないのだ。
でも私たち人間は、目に見えるものだけを大事にし、目に見えないものはそこにないかのように扱う。
本当に大事な努力という過程よりも、周りから注目されて賞賛されるような結果だけを大切にしがちである。
過程を楽しめば結果は自然とついてくる
夢や目標を叶えたり、結果を出すために必要なのは過程を大事にすることだ。
結果なんてものには目もくれず、過程を楽しみながら毎日継続していれば、求めている結果は自然とついてくる。
「努力している人は、努力を努力と思っていない」という言葉どおりである。
継続的に努力できる人は、結果ではなく努力する過程に目を向けている。
そして、努力を努力と思わずに楽しむことを第一に考え、昨日の自分より1歩でも成長することを大事にしているのだ。
もちろん、過程である手段は正しいものを選択しなければならないが、それは別に完璧じゃなくてもいい。
大きく方向さえ間違えていなければ、大まかに正しい方法で努力すればそれなりに結果は出るものである。
「何がなんでも夢を叶えてやる」と、気合いと根性でガムシャラに頑張るよりも、それなりに正しい努力の方法でコツコツ毎日積み重ねていれば、次第に夢や目標との距離は縮まっていく。
人間の意思は脆いので、気合いと根性で頑張っていても挫折するのがオチだ。
結果ばかりにこだわっても結果は出ない
では、結果につながる過程を正しいものにするには、どうすればいいのだろう?
結果を因数分解し、結果を出すために必要な要素を抽出すればいい。
具体的には、「大谷翔平の目標達成シート」を思い浮かべてみよう。
それぞれの真ん中に「結果」を置き、結果を出すために必要な「過程」を一つひとつ考える。
あとは何度も言うように、コツコツ淡々と毎日継続するのみ。結果を重視するのではなく、過程を重視するのだ。
スポーツ選やほかの職業にしても、ただやっていて楽しかったから、あるいは過程を楽しんでいたらいつの間にか結果が出ていたという人は多い。
私の場合も、ただ文章を書くのが楽しくて書いていたら、企業から声がかかりいつの間にかフリーランスのライターになっていた。
筋トレも同じで、ただ体を動かすのが好きで筋トレとランニングを毎日していたら、いつの間にかシックスパックになっていた。
結果はある意味、逃げ水のようなものであり、遠くにぼんやり見ているが、水(結果)を求めて走るとどんどん遠のいていく。
不思議なもので、結果ばかりにこだわっていると結果は出ないのだ。
人生の過程である「生き方」を楽しもう
結果を出したいのであれば、何よりも過程を楽しむこと。
目に見えるものに執着してはいけない。本当に大切なものは、いつだって目には見えないものである。
夢や目標、結果にとらわれて気を張り詰めている人は、一度肩の力を抜いて思い出してみよう。
そもそも、夢や目標を叶えたいのはなぜか?
結果を出したいのはなぜか?
おそらくほとんどの人は人生を楽しむためや、幸せになるために夢や目標を持っているだろう。
それなら、人生の充実に必要な過程である「生き方」を楽しむのが、何よりも大事だと思いませんか?
人生は楽しんだもの勝ちとはよく言うが、それは目先の快楽に溺れて生きようという意味ではない。
結果という先のことばかり考えず、過程である今を最大限に楽しんで生きようという意味である。
過程を大事に生きていれば、いつの日か望んでいた未来が向こうからやってくるだろう。
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