取り柄がないことが取り柄になる【何もない人は強い】

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最終更新日 2024年5月17日

自分には取り柄がないと悩む人は多い。

世の中には色々な人がいる。

文書を書くのが上手い人だったり歌を歌うのが上手い人、写真を撮るのが上手い人や絵を描くのが上手い人、サッカーや野球といったスポーツが得意な人、カラオケや旅行といった遊びが好きな人、ただひたすら寝るのが好きな人、なにもせずボーッとしてる時間に幸せを感じる人など。

人の個性は人の数だけ存在し、何が好きで何が嫌いか、何が得意で何が不得意か、そしてもちろん何が取り柄なのかも人それぞれ違う。

当たり前のことだが、あなたという人間はあなたしか存在しないし、別の他人があなたになれるわけではない。

あなたがいくら他人に対して羨望の眼差しを向けていようと、監視カメラと盗聴器をこっそり隠して他人の生活を忠実に再現しようと、あなたが他人になれることは絶対にない。たとえ数百万円かけて整形しようがムダである。

取り柄がないと悩む人は、無意識のうちに他人の取り柄に憧れを抱いていることが多い。

あの人には〇〇の取り柄があるのに、自分は取り柄がないつまらない人間なのだと。

 

取り柄がないのは信念がないから

人間には一人ひとり個性があり、その人自身を形作る核や信念といったものがある。

誰もが意識せずとも自分の信念に従いながら人生を生き、信念のもとで選択と決断を繰り返している。

言い換えれば、そうした信念があなたの取り柄であるとも言えるだろう。

友達や恋人が大事という信念を持っている人は、他人に優しくしたり思いやりを持って接することができる。

努力が報われるという信念を持っている人は、コツコツ努力を続けることができる。

これは紛れもない、あなた自身の取り柄である。

人生は信念で成り立ち、信念はあなたにとっての取り柄になりうる。

どんな信念を持つかは人それぞれだが、自分が信念を持っていることに気づいていない人も多い。

つまり、自分の信念がわからないからこそ、自分には取り柄がないと悩んでしまうのである。

 

自分の取り柄を見つける方法

信念は抽象的なものであるがゆえに、自分には信念なんてなにも人間はないと思っている人もいるだろう。

人は抽象的なものを軽視する傾向があるため、わからないものよりわかるもの、目につかないものより目につきやすいもの、目立たないものより目立つものを私たちは好む。

自分がどんな信念を持っているのか知りたければ、普段の生活の中で何を基準に選択と判断を下しているのかを考えてみればいい。

たとえば、今の仕事を選ぶときは、あなたは何を基準にその仕事を選んだのだろう?

また、今の恋人と付き合おうと思ったのはなぜなのか?

どうしてその友達とばかりつるむのか?

なぜ今その音楽を聞いているのか?

自分の信念を見つけるには、自分の行動や決断の基点となった価値観を見つければいい。

仕事を選んだ理由がお金なのだとすれば、あなたの信念はお金が中心に形成されている。

その場合のあなたの取り柄は、「お金を大事にしている」というものである。

取り柄と聞くと仰々しいものを想像しがちだが、一人の人間が持っている取り柄なんてものはそんなものでいいのである。

 

人間に取り柄なんていらない

ここまで信念やら取り柄やらベラベラ書き綴ってきたが、私は人間に取り柄なんていらないと思っている。

取り柄というのは言い換えれば自分の強みのことである。

でも、考えてみてほしい。

どうして自分に強みがなければいけないと思っているのか?

自分にとっての取り柄がなければ生きていけないのだろうか?

取り柄がなければ人から愛されないのだろうか?

よくよく考えてみると、取り柄を持とうとすることは不自然なことだとわかる。

他人より何かしら抜きん出たスキルを持つことは、仕事や人生において有益となることもあるだろうが、それが生きることそのものに関係してくるわけではない。

あなたの横でスヤスヤ寝ている犬は、なにか取り柄を持って生きているのだろうか?

あなたの今晩のおかずを今かと狙っている猫は、何か取り柄があるから生きているのだろうか?

取り柄がないのは至極当然のことであり、取り柄なんてなくても私たち人間も楽しく生きていけるのである。

 

取り柄がないことが取り柄になる

取り柄を持つことは、言い換えれば自分の弱さや欠点を隠すための手段でもある。

自分に自信がない人ほどなにかしらのスキルを求めがちだ。あたかもスキルさえ身につければ幸せにでもなれるかのように。

個性や信念、取り柄や強みといったものは、個人をより引き立たせる。

しかし、私たちは目立ちたいがために生きているのだろうか?

他人から必要とされたい?

それもいいだろう。

でも、他人の承認でしか満足できない人生はとても生きづらい。

それなら「取り柄がないことが取り柄で、強みがないことが自分の強み」だと思ってはどうだろうか。

何もないことが何かあることになり、何かあるけれど何もないのは、あれこれ目先のスキルをかき集めている人よりも強い。失うものがないのだから。

結局のところ、人生はいかに持たないかが重要なのである。

持つものが多いほど人は弱くなる。

これは想いが人を強くするという一般的な認識とは真逆だ。失うものがある人間は、何もない人間より常に弱い。

取り柄がないことを恥じる必要はない。取り柄がない自分も、強みがない自分も、夢も趣味もやりたいこともないことは悪いことではない。

取り柄がない人は、何かを持つ他人よりもずっとずっと強いのだから。

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