最終更新日 2024年5月13日
どうでもいいことは大概、自分がどうでもいいと思っているよりも重要である。
一方、重要だと思っていることは、自分で思っているよりも実はどうでもいい。
実際、人生のほとんどは「どうでもいいこと」の寄せ集めである。
本当に人生や自分にとって重要な問題なんてものはあまりなく、普通に生活していて重要な問題にぶち当たることもほとんどないだろう。
そして大抵の「重要な問題」は、冷静に考えれば重要でもなんでもなく、「どうでもいいこと」に分類される出来事だったりする。
後から振り返ると「なんであんなことで悩んでいたんだろう?」と思うことが多いように。
だが、人生のほとんどが「どうでもいいこと」の寄せ集めだとすれば、逆に「どうでもいいこと」が「重要なこと」だと言えるだろう。
どうでもいいことが集まることで、どうでもいい出来事の集合体が出来上がり、それが重要な問題として自分の人生の前に現れるのである。
「どうでもいいこと=自分にはどうにもできないこと」
「どうでもいいこと」というのは、本当にどうでもいいことである。
朝寝坊してしまっただとか、ニキビができてしまったとか、小指をテーブルにぶつけただとか、晩御飯のおかずで家族とケンカしただとか、そんなようなことだ。
どの程度のことまで「どうでもいい」と思えるかは人によっても異なるが、基本的には「人生で起こる問題のほとんどはどうでもいいこと」である。
たとえば、私はフリーランスのライターとして仕事をしているが、明日いきなり仕事が突然なくなったとしても、私にとっては「どうでもいいこと」に分類される。
仕事が貰えるかどうかは私にはどうにもできないことであり、自分にはどうにもできないことで悩んだりしても意味がないからである。
ほかにも、友達との関係が疎遠になることも、私にとってはどうでもいいことだ。
友達や私から離れるかどうかは相手の問題であり、これも自分にはどうにもできないことだからである。
つまり、「どうでもいいこと」というのは「自分にはどうにもできないこと」なのだ。
これはある意味、アドラー心理学の「課題の分離」的な考え方である。
人生のほとんどはどうでもいいこと
昔恋人に別れを告げられたとき、特に引き止めたりもせず、ただ素直に「今までありがとう」と言って怒られたことがある。
どうやら彼女は寂しくて構ってほしくて駆け引きで別れを告げたようだが、私は昔から「去るもの追わず」スタイルで生きているので、そのまますんなりと別れて終わってしまった。
2年後に当時の彼女の気持ちを聞かされたとき、「あぁ、そういうことか」とはじめて女心がわかった気がした。気づくには遅すぎたけれども。
さきほども言ったように、自分にはどうしようもできないことは、どうでもいいことである。
仕事がなくなるかどうか、人間関係がどうなるか、将来がどうなるかは自分にはわからないし、どうしようもできない。
もちろん、仕事を一生懸命がんばったり、友達とこまめに遊んだりなど、物事がいい方向へと向かうように最大限の努力はするべきである。
でも、最終的な結末は「神のみぞ知る」だ。
しかし、「どうでもいいこと=自分にはどうにもできないこと」と思っていると、人生で起こるほとんどすべての出来事が「どうでもいいこと」になってしまう。
人生は本質的に予測がつかないものである。予測がつかない以上、自分ではどうしようもできない。どうしようもできないことはどうでもいいこと。
この考えが突き進む先は、人生そのものが「どうでもいいこと」という結論である。
どうでもいいことの中に喜びと幸せがある
私は人生に執着していない。
極論を言えば、生きるか死ぬかもどうでもいいことで、ただ毎日自分ができること、やるべきことをやって生きているだけである。
仕事にも他人にも自分にも人生にも期待しちゃいない。
でもそれは人生を「諦めている」わけではなく、人生とはそういうものだと「受け入れて」生きているのである。
だからすべてがどうでもいいことだとしても、一日中部屋に閉じこもって暗い顔しながら生きているわけではない。
好きなことや楽しいことをやりつつ、うれしいことには喜び、楽しいことには笑い、悲しいときはしっかり泣く、というそれなりに充実した毎日を送っている。
逆説的ではあるが、人生のほとんどの問題をどうでもいいことと思っているからこそ、一つひとつの物事を楽しめているのだと思う。
どうでもいいことしかない毎日でも、どうでもいいことが集まることで重要なこととして目の前に現れる。
つまり、毎日のどうでもいいことの中にこそ、人生の喜びや幸せ、生きがいがあるのである。
どうでもいいことこそ、実は重要
「どうでもいいことが重要で、重要なことのほとんどはどうでもいい」というのは、「どうでもいいことの中に喜びと幸せがある」という意味である。
人生のほとんどをどうでもいいことと思うからこそ、人生に楽しさが生きがいが生まれる。
だからこそ、「どうでもいいこと」こそ「重要なこと」なのである。
「どうでもいいこと」を「どうでもいい」と言葉どおりに受け取ってしまうと、人生は本当にどうでもいいものにしかならない。
仕事に嫌気が差し、人間関係にストレスを感じ、自分の将来も人生もすべてがどうでもよくなったとき、人は人生に絶望する。
そうではなく、人生のほとんどはどうでもいいことと受け入れ、「どうでもいいことこそ重要」なのだと理解することで、そこそこ楽しく人生を生きられる。
死が近くなると生を愛おしく思うように、どうでもいいことばかりな人生だからこそ、人は充実した人生を歩めるのかもしれない。
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