最終更新日 2024年5月14日
一般的には、「人に認められたい」という欲求を持つことはいいことだと思われている。
「人に認められたい」という承認欲求を持つことで仕事を頑張ろうと思ったり、今の自分よりも魅力的な人間になろうと努力する。
SNSのフォロワーを増やそうと頑張ったり、年収を上げようと転職したり、見た目を磨いて可愛くなろうとするのは、「人に認められたい」という承認欲求があってこそだ。
承認欲求が人を成長させ、人生を今よりも充実したものにしてくれる。
しかし、それは本当だろうか?
「人に認められたい」という承認欲求は必ずしも必要なものなのだろうか?
「人に認められたい」と思う気持ちは時として、あなた自身を苦しめたりはしないだろうか?
承認欲求を持つことで、生きづらさを感じている人もいるのではないだろうか?
「人に認められたい」と思う現代人
アメリカの心理学者であるマズローは人間の欲求を5つに分け、「欲求5段階説」を提唱した。
これは現代の心理学者たちからは否定されたりしてはいるものの、人間の心理について考える上で重要な役割を果たしている。
マズローは人間の欲求の最上位に「自己実現欲求」を置き、自己実現の一段下に「承認欲求」がある。
承認欲求は「他人から認められたい」「人から必要とされたい」欲求のことであり、インスタやTikTokといったSNS上には承認欲求を求める人がたくさんいるのを目にするだろう。
いいねの数にこだわったり、フォロワー数を増やすことに躍起になったり、自分の生活をさらけ出して他人から羨ましがられたりするのは、すべて承認欲求に突き動かされた行動だといえる。
悲しいことに、現代では若者だけでなく、大の大人までも承認欲求に取り憑かれたようにSNS上で「人に認められたい」と思っている。
人間に潜む欲求の中でも、承認欲求は現代社会で生きづらさを感じている人にとって深く関係している。
承認欲求を持っている人が必ずしも生きづらさを感じているわけではないが、生きづらさを感じている人の多くは承認欲求が強すぎる人たちなのだ。
「人に認められたい」=「人から認められない自分には価値がない」
はじめにも述べたように、一般的には、承認欲求を持つのは良いことだと思われている。
承認欲求は他人から必要とされることで生きる価値を実感し、人生がより楽しいものになっていく。
しかし、承認欲求が強いことで、逆に自分自身を苦しめたりすることもある。
週末の休みを一日中ベッドの上でゴロゴロしたり寝たりを繰り返していれば、夜に罪悪感を感じて死にたくなることがあるだろう。「せっかくの休みを何もせずに無駄に過ごしてしまった」と。
こうした感情が湧いてくる原因こそ、承認欲求があるからなのだ。
承認欲求があることで、「誰からも認められない自分には価値がない」「誰からも必要とされていない自分には生きる意味がない」という考えが浮かんでくる。
休日に家で一日中ゴロゴロしていることはあなたの人間的な価値には何も関係ないのにも関わらず、「休日に誰からも誘われない自分には価値がない」と思い込んでしまうのだ。
「人に認められたい」と思っている人が、他人から必要とされなければ落ち込んでしまうのは当然である。
つまり、「人に認められたい」という気持ちは人を成長させることもあるが、逆に「認められない自分には価値がない」と感じさせることにもなりかねないのだ。
ありのままの自分を愛してくれる人を大事にする
「人に認められたい」という承認欲求が、「認められない自分には価値がない」と感じさせてしまう。
だがそれは、「承認欲求は持たないほうがいい」というわけではない。
承認欲求は人生において大切なものである。
承認欲求がなければ他人と関わろうと思う気持ちもなくなり、自己中心的でとても嫌な奴になってしまうだろう。
しかし、承認欲求も人間の欲求である限り、手網はしっかりと握っておかなければならない。
欲求は競走馬であり、騎手は自分自身だ。放っておけば欲求は暴走し、自分自身を破滅させてしまう。
「人に認められたい」という承認欲求欲求の手綱を握るためには、ありのままの自分を愛してくれる人を大事にしなければならない。
認めてくれる人ではなく、ありのままの自分を好いてくれる人を大事にする。
そうすれば、「人に認められたい」という承認欲求に苦しめられることもなく、程よく努力しながら自分らしく生きていけるだろう。
「他人」ではなく「自分」が認められる生き方をする
人間の欲求には終わりがない。一度満たされても、人は「もっと、もっと」と際限なく欲求を満たそうとする。
まだ使えるのに新しいスマホに買い替えたり、お腹がいっぱいなのにさらに食べようとしたり、物欲や食欲などはもっともわかりやすい例である。
ハッキリ言うが、承認欲求が強すぎる人は、決して幸せにはなれない。
一つの幸せを手にしても、またすぐに新たな幸せが顔を出し、幸せのトレッドミルマシンに乗っているかのように死ぬまで走り続ける羽目になる。
走っても走ってもあなたの心が満たされることはない。
競争の中で生きるのが好きな人であれば、欲求や欲望を追い求める生き方もいいかもしれない。
情熱や熱意が強い人は他人と競争するのが生きがいであり、他人に認められるからこそ成長し続けられる、そういう人がいるのも事実だ。
しかし、ただ「幸せになりたい」「楽しく生きたい」「満たされた気持ちで毎日生きたい」と思うのであれば、必要以上に「人に認められたい」と思うのは良くない。
人に認められて承認欲求が満たされた瞬間は幸せでも、その幸せには持続力がないため、またすぐに「もっと多くの人に認められたい」という欲求が湧いてくる。
「人に認められたい」と思っている人は、「他人」ではなく「自分」が認められる生き方を目指してみよう。
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