いつまでも「人と同じが嫌」だとは言っていられない。

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最終更新日 2024年4月25日

「人と同じが嫌」という感覚を持っている人は少なくないだろう。

わざと周りと違うことをしようとしているわけではないけれど、世の中で流行ってるものなどには興味を持てない。

私もこのタイプであり、どちらかというと世の中でブームが過ぎ去ってから興味を持つことがほとんどで、流行や社会現象といったものに敏感に反応する性格ではない。

人と話をするときも、「最近〇〇が流行ってるよね」と言われても何のことかわからずに会話が続かないことも多い。

普通の人なら知っていることでも、興味がないことにはとことん疎い。

その代わり、自分が好きなことや興味があることは「そこまで調べる?」というところまで突き詰めて考える性格である。

どうしてそんな性格になったのかはわからないが、思い返せば子どもの頃から周りの人と同じことをするのが嫌だったのだと思う。

子どもの頃の友達付き合いと言えば、大体が友達が好きなものを同じく好きといい、友達がハマっていることにハマり、友達が興味を持っているものに興味を持つ。

まるで空気を読む大人のように、子どもながらに常に友達と波長を合わせながら付き合っていたのが当時の私である。

 

人と同じが嫌=協調性がない

しかし、無理やり周りに合わせながらの付き合いは自分を誤魔化しているため、心にストレスが少しずつ溜まっていく。

中学生ぐらいになった頃には友達の団体の輪から外れ、素を出せる一人か二人の友達としか遊ばなくなった。

トラウマになっているわけではないが、子どもの頃のそうした記憶が大人になった今でも他人に合わせることを拒ませていて、人と同じが嫌と思っているのかもしれない。

自分が興味のないものを勧められても一切興味を抱かず、自分で興味を持つ瞬間までハマることはない。

会社員だったときも、みんなと一緒にダラダラ仕事するよりも、一人テキパキ仕事してさっさと終わらせてさっさと帰りたいタイプだった。

だから、ほかのやる気のない社員のせいで残業になるのが心底嫌で、自分の仕事は終わっているにもかかわらず、なぜやる気のない社員のせいで自分まで残業しなければならないのかが本気でわからなかった。

世間ではそういう人のことを「協調性がない」と言うらしい。

仕事するときはみんな一緒、休憩も一緒、帰りも一緒。会社員だった頃はそうしたくだらない統一感に心底うんざりしていた。

私の「人と同じが嫌」というのは、意味もなく周りと同じことをやらされることに対する違和感である。

ある意味、私は協調性が微塵もなく、自分の好きなように働きたくてフリーランスになったのだと思う。

私にとって会社員は肌に合わず、そのまま続けていれば精神疾患で入院していたかもしれない。

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人と同じが嫌なままだと成長しない

でも、最近は「人に合わせること」も大切なのだと思うようになった。

もちろん、メンタルに多大な負荷やストレスを感じてまで無理に合わせる必要性はないが、人や社会、世の中に迎合せずに生きるだけでは、本当の満足は得られないような気がしている。

「人はミツバチのように群れたがる社会的な動物だ」とアリストテレスは述べている。

そう、誰かと一緒にいたくなるのは言わば人間の本能であり、協調性のなさは本能に逆らった状態だともいえる。

本来なら社会的な動物であるはずの人間が、社会や文明の発展により、他人と群れなくても生きられるようになった。

そうして個人の自我がどんどん強く現れるようになったのだ。

その結果、現代には自分の利益のことしか考えない愚か者が増え、嫌なことがあればすぐに投げ出し、気質に合わないことからはすぐに逃げるようになった。

だが、これでは人間は成長しない。

人は困難にぶち当たったときに成長する生き物であり、嫌なことから逃げてばかりいては、歳だけ重ねて精神は子どものままである。

つまり、いつまでも「人と同じが嫌」のままでは、精神的な成長は得られないのだと思う。

 

人と同じことにも興味を持つ

他人や社会の流れに合わせるというのは、無理に迎合するという意味ではない。

人には何かしら本当に無理なことがある。「生理的に受けつけない」というやつだ。

そうしたことを続ければメンタルが深く傷ついてしまうため、逃げるのが得策だろう。

しかし、何でもかんでも人と同じが嫌だと拒否ばかりしていてもダメなのだ。

今までは自分が興味のあること、やりたいこと、知りたいこと、好きなことばかり考えて生きてきたが、そろそろ社会や他人との関係にも積極的に踏み出すときが来たのかもしれない。

よく30代や40代になって生き方を模索する人が多いのは、年齢とともに自分の人生を振り返るからではないだろうか。

昔は深く考えずに生きていてもそれなりに何とかなったが、大人になって歳を重ねていくと人は自分の人生について深く考えるようになる。

それが内面的な成長をもたらし、人と同じことにも興味を持つことにつながっていくのではないだろうか。

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人と同じが嫌という感覚は変わるもの

どこまでいっても人間は人間であり、向上心を持った社会的な動物である。

人と同じが嫌というのがダメな生き方とは思わない。人に合わせるのが良い生き方とも思わない。

だが、人間には生き方のフェーズが存在し、フェーズごとに多様な生き方をするのがいいのかもしれない。

そうした意味では、私は社会的なつながりを発展させるフェーズに来ていると言える。

「人と同じが嫌」という一つの生き方を貫くのも時には大切だが、そうとしか生きられないと生き方に執着してはいけない。

「人の性格は死ぬまで変わらない」と言われるが、アドラー心理学の創始者であるアルフレッド・アドラーは「人の性格は死ぬ1日前まで変えられる」と言っている。

実際、子どもの頃の性格と大人になった今の自分を比べてみると、まったくの別人と思うぐらい変わっている部分もある。

性格というのは一生変わらない部分もあるのだろうが、容易に変わる部分もあるのだと思う。

そして、「人と同じが嫌」という感覚も、変えられる性格の一部分なのだろう。

いつまで続くかわからない人生だからこそ、もっと多様に生きることが求められているのではないかと感じる今日この頃である。

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