最終更新日 2024年5月18日
「個性」は現代社会で生きていれば頻繁に耳にする言葉だ。
人生に悩んだり仕事選びで迷ったり、人間関係で疲弊している人たちに対して「自分らしく生よう」と語りかける人は多い。
しかし、「自分らしさ」とは何か、「個性」とは何かについてハッキリと答えられる人は多くないだろう。
大体の人はふんわりとしたニュアンスで個性やら自分らしさといった言葉を使っている。
自分が好きなものを個性だと言う人もいれば、着飾ったり無理していない自分を自分らしさと言う人もいる。
でも、個性や自分らしさは本当にそんなに大切なのだろうか?
そもそも、個性がないのか普通で当たり前なのではないだろうか?
個性がないのはダメなことなのか
今の世の中は、あたかも「個性がないとダメ」「自分らしくいなければならない」と思い込んでいる人が多い気がする。
近年よく聞く「多様性」という言葉も、簡単に言えば「自分の個性を大事にしなさい」というメッセージが含意されている。
自分は自分らしくあれ、というわけだ。
だが、大多数の人は個性や自分らしさが何なのかを理解していない。
常に探してはいるのだけれど、自分は何が好きなのか、何が得意なのか、何がやりたいのか、何がしたいのかを明確に答えられる人は少ない。
とりあえずやってはみたものの「何か違う」と感じてすぐやめてしまい、別の何かにチャレンジしては「これも違う」と感じ、再び自分らしさを求めて右往左往する。
こうした状態になっている若者も多いのではないだろうか。
しかし、そもそも個性や自分らしさといったものを探すのが間違いなのだとしたら?
人は個性がないのが普通で、個性がないのが当たり前なのではないだろうか?
個性がないことは本当にダメなことなのだろうか?
個性がないと悩む人
実際、個性や自分らしさに定義は存在しない。
そんなもの誰にもわからないのだ。
しかし、現代では「個性を大事にしろ」「自分らしく生きろ」と、あたかも個性がないのが悪いことのように社会全体が圧力をかけてくる。
だから、個性がないと思っている若者や大人は悩んだり迷ったりしてしまう。
そしてそこに現代の「消費社会」が襲ってくる。
現代は消費社会であり、汗水垂らして働いたお金を、私たちは好きなものを買ったり旅行に行ったり趣味に費やし、お金を消費することで充実感を買っている。
働いて稼いだお金を、自分が楽しいことや好きなことに使う。
たしかに充実した人生だ。これはこれで幸せだろう。
しかし、消費社会は個性がないと悩む人たちに対して、個性を与える社会であることを忘れちゃならない。
つまり、私たちはお金だけじゃなく、個性も消費しているのだ。
個性がない人に個性を売る社会
現代社会が個性的でいることや自分らしく生きることを押しつけるほど、多くの人は「個性がない自分は何もない」「何か個性を持たなければ」と感じてしまう。
他人や周りに同調するのではなく、自分が本当にやりたいことや好きなことをやれ、と社会が圧力をかけてくる。
そうすると、ふわふわ生きている人でも個性がないことに焦燥感を感じ、自分探しの旅に出る。
そこへ消費社会が「あなたの個性はこれですよ」「自分らしさはここにありますよ」と語りかけてくる。
Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズは「消費者は自分が欲しいものを知らない。それは目の前に出されて、はじめて欲しかったと気づくのだ」と述べた。
これは商品に限った話ではなく、個性や自分らしさにも言えることである。
つまり、現代は「個性がないことに悩んでいる人」や「個性を持とうとしている人」に対して、個性をパッケージ化して売りつけているのだ。
個性や自分らしさは商品化できると気づいた大人たちは、ありとあらゆるものを「あなたの個性を発揮できますよ」というメッセージと共に現代人に売りつける。
それを手にした人たちは、探し求めていた個性や自分らしさを手にした気持ちになるだろう。
他人と被らない服装、奇抜な髪型と髪色、個性的なアクセサリー、旅行が大好きな自分、音楽が生きがいの自分、趣味に生きる自分、どれもこれもパッケージ化された個性である。
現代人は知らないうちに、それらがあたかも自分の個性であるかのように思い込んでいる。
個性がないのが普通で当たり前
もちろん、世の中には本当の意味で自分らしく生きている人もいるだろうし、自分の個性が何なのかを理解して生きている人もいる。
消費社会が売りつける個性や自分らしさではなく、本当の自分を大事にしながら生きている人も少なからずいる。
でも大多数の人はそうじゃない。
社会が売りつける個性を自分の個性と勘違いして生きている。
だからこそ、好きなことをしているはずなのにどこか満たされない気持ちになったり、やりたいことをやってるのにつまらなさを感じたりする人が多いのだろう。
それらは社会から売りつけられた個性であり、自分の本当の個性ではないのだから。
個性的な人が個性を大事にして生きるのは大切なことである。
しかし、多くの人は個性がないのが普通で当たり前なのだ。
個性がないことに悩むあまり、消費社会が提供する個性や自分らしさに飛びついちゃいけない。
それらはあなたの本当の個性ではない。頭の良い人たちのマーケティングによって個性だと思わされているだけだ。
個性がない=みんな違くて、みんな同じ
私は人間に個性や自分らしさなんていらないと思ってる。
そもそも、その言葉を使っている大人たちがその意味を理解していないし、彼らこそ消費社会に与えられた個性を自分の個性だと思い込んでいる。
個性や自分らしさという言葉の魔力に惑わされると、消費社会の中で永遠に「好きなことをやってるのにつまらない」という退屈を感じながら生きることになる。
人間は一人ひとり違うが、そこに決定的な差異があるわけではない。
みんな違くて、みんな同じなのだ。
個性がないと悩む必要はないし、個性や自分らしさを求める必要もない。
他人と違うことを望む気持ちが、結局のところ他人と同じなのだ。
個性がないことに悩むあまり、社会が売りつけてくる「個性的な人間」にならないように気をつけて生きよう。
個性がない人でも、家族や友達からすれば「あなた」という存在の代わりはいない。
「あなたの代わりはいない」ということが、あなたの本当の個性なのではないだろうか。
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