生き方がわからない20代・30代がするべきこと。

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最終更新日 2024年4月25日

現代では生き方がわからない20代・30代がたくさんいる。

高校⇒大学⇒就職と、普通の人生といわれている道をそのまま歩んでいるにも関わらず、多くの人が自分の理想と現実のギャップに悩み苦しんでいるのだ。

「自分の人生はこんなものなのか」

「もっといい生き方があるんじゃないか」

親や学校の先生は「道」は教えてくれても人生の「生き方」までは教えてはくれない。

一般的な教育というのは、ただ世間的に「安定」といわれ「常識」といわれている道を歩ませることだけを目的としている。

つまり、道を選ばせたあとの生き方においては「勝手に生きろ」というのが現代の教育方針だ。

これでは大人になった後に、人生の生き方がわからずに悩んでしまう人が現れるのもある意味当然である。

 

生き方がわからないのは当然

生き方がわからなくなったときは、まず「生きること」について考える必要がある。

誰もが知っているように、日本では小中学校は義務教育であり、身体的や経済的な理由がない限りは学校に通うことが義務とされている。

しかし、人生の中の学校というコンテンツは義務化されていても、「生きること」については義務化されているわけではない。

つまり、言い方は悪いかもしれないが、結局のところ、生きるも死ぬも自分次第なのである。 

私たちは生きる「権利」を持っているだけであり、生きることを「義務」として生きているわけではない。

だからこそ、親や学校の教師は「人生の生き方」までは教えてはくれず、多くの人たちが大人になった後で自分の生き方に迷ってしまうのだ。

人は物事を押しつけられるのが嫌いであり、「あれをやれ」「これをやれ」と他人に命令されたり、「こうしなければならない」という物事に素直に従うのが苦手である、

だが、だからといって人生の生き方についてなにも教えずに、社会の波の中に放り出してしまえば、どう生きればいいのかわからなくなってしまう。

生き方がわからない20代・30代は、いわば現代社会が作り出しているともいえるだろう。

普通に生きるのが難しい現代社会。

2024年4月12日

 

生き方に迷ったときは「生きる」と決める

さきほど述べたように、生きることが人間の義務ではないとすれば、人間には「生きる」か「死ぬか」の2択が存在する。

しかし、そこで「死」を選択するのは何が何でも避けるべきだ。

たとえ生きることが義務化されていないとはいえ、命を自らの手で手放してはいけないことは誰もが理解している。

そのため、生き方に迷ったときはまずは「生きる」と決めてしまうようにしよう。

生き方がわからないとしても、とりあえず「生きる」と決めてしまえば、後は「どう生きるか」という問題に集中できる。

たとえば、生きることを選択し「生きているだけで丸儲け」という考え方を持つことで、死なない限りは人生で起こるすべての物事をプラスにすることもできる。

生きているだけで丸儲けという考えは、嫌なことが多い人生を生きるのに有効だ。

時折やってくる悲しい出来事やつらい出来事、怒りや苦しみといったことをどれだけ経験しようと、生きているだけで丸儲けなのだから、決して人生自体がマイナスになることはない。

現代人は人生に何かしらの夢や目標を持ったり、休日などに何かしらの意味があることをしなければいけない義務を背負ってるかのように生きている。

これが生きづらさの原因でもあり、生き方がわからないことになる原因でもある。

だが、死なない限り、生きているだけで丸儲けだとマインドセットしておくことで、「どう生きるべきか?」といった問題の答えも見つけやすくなるだろう。

人間は誰もが「ただ生きているだけ」ですでに価値のある存在なのだ。

 

人生は「こんなもん」と思うと生き方がわかなくなる

人間にとって生き方というのは、選択肢のひとつに過ぎない。

そのため、たとえ間違った生き方を選択したとしても、また別な生き方を選択すればいいだけだ。人生で一つの生き方しか選べないということはないのだから。

誰もが一度は他人に憧れたことがあるだろう。

「自分もこの人のようになりたい」

「この人みたいな生き方がしたい」

生き方がわからなくなっているときは、一度自分が憧れている人の人生と、自分の人生を照らし合わせてみるのもいいだろう。

幸せそうに見える人が幸せとは限らない【自分なりの幸せを見つける】

2024年4月19日

さきほども述べたように、たとえそれで「間違った」「失敗した」と感じても、また別な生き方を選択すればいいだけである。

人の生き方は人の数だけある。誰もが自分に合った生き方をし、誰もが自分の価値観に従ってどう生きるかを考えることが大事なのだ。

生き方にはある程度「向いてる」「向いてない」は存在するかもしれないが、そこに「正解」や「間違い」が存在するわけではない。

たとえ悪いことをしてお金儲けをする生き方を選んだとしても、その生き方を選ぶことはその人にとっては善かもしれない。

他人に生き方に対する「間違っている」というのは世間的な反応でしかないのだ。

もちろん、これは犯罪や他人に迷惑をかける生き方を助長しているわけではない。

結局のところ、どう生きるかは自分で考え、最終的には選んだ生き方を正解にしていくしかないのである。

若い人の中にはまだ何十年かしか生きていないのに、まるで人生のすべてを悟ったかのように「人生こんなもんだよね」と吐き捨てる人がいる。

だが、人生は決して「こんなもん」などではない。自分自身が「こんなもん」な存在なのである。

好きでもない仕事を毎日こなし、付き合いたくもない人間関係を作り、寂しさを紛らわせるためにやりたくもない遊びに付き合う。

生き方がわからなくなる原因の多くは、「こんなもん」の自分が人生を「こんなもん」にしているからなのだ。

 

自分の価値観に従って生きるのが大事

毎日同じような日々を繰り返していれば、「人生こんなもんか」と思うときもあるだろう。

しかし、人生を「こんなもん」にするのか「充実したもの」にするのかは、自分次第でいくらでも変えることができる。

たとえば、生き方がわからない20代・30代はまず自分の価値観を理解し、価値観の優先順位に従って生きてみるのがいい。

価値観というのは、自分が人生において何を大切にしているかという核の部分である。

価値観に従う生き方というのは、自分が大切にしているもの、大事にしたいもの、絶対に譲れないものをもっとも最優先に考えて生きるということだ。

たとえば、お金に価値観を置いているのであれば、とにかくお金をたくさん稼ぐ生き方をする。

趣味に没頭するのが好きな人は、毎日趣味に没頭できる時間を大切にする。

仕事が大事だという人は、仕事で結果を出すことに集中する、という具合だ。

自分の価値観と生き方がぴったりと一致していれば、生き方がわからなくなることも人生につまらなさを感じることもない。

生き方がわからない20代・30代は、自分の価値観を見失い、他人の価値観や世間の価値観に流されて生きているのが原因である。

生き方がわからなくなったときは、まずは自分の価値観について考え、価値観に従った生き方をしてみよう。

もし違和感を感じたなら、その都度再び自分の価値観を見直し、生き方を修正すればいいだけの話なのだから。

【人生の価値観】自分が価値があると思うものこそ、人生で本当に価値のあるもの。

2024年4月14日

 

インプットをおこなって視野を広げる

ほかにも、一定期間ただひたすらインプットをおこなうのもおすすめである。

インプットというのは、情報を自分の中に仕入れるという意味である。

人生に役立ちそうな、ありとあらゆる情報をとにかく頭の中に詰め込んでみるのだ。

人は自分が知らない生き方については考えることができないため、迷ったときはとにかく視野を広げることが大事である。

インプットの方法としては、音楽でも映画でも読書でも何でも構わない。

たくさん人と会うでも、旅に出てみるでも、やったことがないことに挑戦するでも、興味があることに片っ端から手を出すでもいい。

何よりも、経験を通して頭の中にインプットをおこなうことが重要だ。

不思議なことに、インプットが多ければ多いほど、ふとした瞬間にパッと何かが閃くことがある。

これは情報と情報が頭の中で無意識的に結びつくことで起こるものであり、インプットをおこなわずして視野を広げることはできない。

また、たくさんインプットした後には、同じ時間だけアウトプットの時間をつくり、しっかりと自分の頭で考える時間を持つことも大事だ。

人生では何が生き方を決めるきっかけになるのかはわからない。

生き方がわからないときは、さまざまなものからインプットをおこない、視野と世界を最大限に広げ、その中から自分の価値観に合ったものを選択してみよう。

 

他人の生き方を真似して違和感を感じる

「自分の価値観に従って生きる」とは正反対のものだが、実は他人の生き方を真似することの中には学びが多かったりする。

生き方を真似する相手には自分が憧れている人を置き、「できるなら自分もこうした生き方がしたい」と思えるような人の生き方を真似するのがいい。

実際に他人の生き方を真似してみるとわかるが、当然自分と他人の価値観は異なっているため、生き方を真似しているとどこかしらに違和感を感じるだろう。

人は一人ひとりストレスの耐性も違うし、何に幸せを感じるかも違う。

生き方を真似することで、改めて「自分と他人は違う」ということを実感できる。

そうしてはじめて、「自分の価値観」というものがハッキリとわかるようになってくる。

普段は自分の価値観がわからずとも、価値観に合わないことをあえてすることで、自分の価値観を浮き彫りにし、わかりやすくさせるというやり方である。

生き方がわからないときは、自分に合う生き方を探すよりも、自分に合わない生き方を消去していき、残った生き方に従って生きるほうがより簡単に生き方を見つけられる。

他人の生き方は真似するべきではないが、真似するべきではないからこそ、そこには新しい発見があるのだ。

 

生き方がわからないのは悪いことではない

何でもできる現代において、20代・30代で生き方がわからない人はとても多い。

学校では実生活に役立たない知識ばかり頭の中に詰め込まれ、もっとも大切な「生き方」については誰も教えてはくれない。

人生はそれなりに長く、迷いが生じると生きること自体が苦痛に感じてしまうことも少なくないだろう。

現代では生き方に迷う人に加え、生きづらさを感じている人が増えているのも事実である。

しかし何度も述べているように、結局のところ、生き方というのは自分で見つけるしかない。

そのためには、自分の価値観に従って生きてみたり、インプットをたくさんしたり、他人の生き方を真似してみるなどの方法がある。

このエッセイで紹介した方法は、私が実際に自分の生き方を見つけるのに役立った方法だが、最終的に生き方を決めるのは紛れもなく自分自身である。

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という言葉のとおり、生き方を他人から提示されたとしても、最後にどんな生き方を選ぶのかは自分自身だ。

生き方がわからないときは、まずは自分に合わない生き方を排除し、残った生き方をしてみよう。

生き方がわからないのは悪いことではない。焦らずに、自分の生き方を探してみてほしい。

【水のように生きる】不安や迷いをなくし自然体で生きる方法。

2024年4月20日
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