「ギュゲスの指輪」からわかる人間の幸せとは?

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最終更新日 2024年5月12日

古代ギリシャの哲学者であるプラトンの著書「国家」には、「ギュゲスの指輪」という話がある。

哲学的な問題に興味がある人は聞いたことがあるかもしれないが、ギュゲスの指輪は現代においても道徳的な議論でよく取り上げられる問題だ。

ギュゲスの指輪の大雑把な概要は、以下のとおりである。

ギュゲスの指輪は、自在に姿を隠すことができるようになるという伝説上の指輪であり、リュディアの人ギュゲスが手に入れ、その力で王になったという。

グラウコンは、誰にも知られず不正を行なうことができる場合に、ギュゲスのように不正を行なって栄華を極める人と、正義を貫いて何も得ない人と、どちらが良い人生を送ったと言えるのかとソクラテスに質問した。

正義を勧めるときに、世の人々は良い評判が利益につながることを理由として挙げるが、それは人に知られず不正を働き、良い評判を得たまま利益もおさめられればよいという考えにつながらないかという疑問である。

読んでわかるように、ギュゲスの指輪とは、プラトンの兄であるグラウコンがソクラテスに対して投げかけた疑問のことである。

ギュゲスの指輪は、人間の中に眠る道徳や倫理に深く根付いた問題であり、人生をより良く生きるためにはどう生きるべきかという問題にもつながってくる。

絶対に誰にもバレずに悪いことができるとき、あなたはどういう行動をとるだろうか?

 

ギュゲスの指輪から考えるべきこと

ギュゲスの指輪の話から考えるべきことは、「自分がギュゲスの指輪を手に入れ、実際に透明になれるとしたらどういう行動をとるだろうか?」ということである。

ここで思考実験をしてみよう。

ギュゲスの指輪を手に入れた自分を想像し、その後自分がどういう行動をとるか真剣に考えてみてほしい。

透明になれるということは、お金持ちの家に侵入してお金を盗んだり、スーパーやコンビニから食べ物を万引きしたり、好きな人の家に侵入したりすることができる。

今までのようにお金を稼ぐために働く必要はなく、捕まる心配をすることなくお金を手に入れることができ、タクシーや飛行機にだってタダ乗りすることができ、どこにでも世界中自由に旅行することができる。もちろんホテルも無料で使い放題だ。

少し考えてみただけで、透明になればできることが次から次へとたくさん思い浮かんでくる。

もちろん前述した例はすべて犯罪であり、現実では絶対にしてはいけないことである。

こうした行動の自由が想像できるとき、ギュゲスの指輪を手に入れても道徳観や倫理観を損なうことなく、理性で自分を制することができるだろうか?

さて、あなたはどうだろう?

 

幸せは自分の精神状態で決まる

プラトンの兄であるグラウコンはソクラテスに対し、「ギュゲスの指輪を持っていても、自分の道徳や倫理、正義や信念を貫いてなにもせずにいる人と、誰にもバレることなく悪いことをたくさんし、億万長者や成功者になって悠々自適な生活を送っている人のどちらが幸せなのか?」と問いかけた。

ソクラテスはこう答えた。

「たとえ誰にもバレずに悪いことができ、なおかつそれにより名誉や成功、富や権力を手にすることができたとしても、それはしょせん見せかけのものであり、人間においてもっとも大切な精神が汚れてしまっているため、本当の幸せは感じられない」

これはつまり、自由や成功、幸せや充実といったものは、外的な環境(この場合はお金や名誉)によってもたらされるものではないということだ。

すなわち、幸せというのは自分の内部の状態、精神の状態によって得られるということである。

たとえ絶対にバレる心配がない状態で悪いことをしても、悪いことをすれば精神には罪悪感や嫌悪感といった目に見えない負担が降りかかる。

そして、そのネガティブな感情により精神的に追い詰められてしまう。

ソクラテスは、そのような状態では人間は幸せにはなれないと言っている。

これは誰もが一度は似たような経験をしたことがあるだろう。

犯罪をおこなった人が罪悪感や逃亡に疲れて自首することがあるのと同じく、悪いことをすれば必ず精神には悪影響が及ぶのである。

そしてその罪悪感は人間を押しつぶすことさえあるのだ。

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ギュゲスの指輪は人間の本性を暴く

たとえギュゲスの指輪を手に入れ、自分の好き放題に使ったとしても人は幸せにはなれない。

悪用して一時的に欲望が満たされたとしても、時間が経つにつれて罪悪感によって永遠に苦しむことになってしまうからだ。

よく言われているように、幸せは手にするものではなく「気づく」ものであり、自由も手に入れるものではなく「感じる」ものなのである。

プラトンやソクラテスといった哲学者ははるか昔の存在だ。

しかし、彼らは現代人よりも「より良く生きる」ことを真剣に考え、ギュゲスの指輪のような問題提起を幾度となくおこなっていた。

プラトンの「国家」はその一つである。

よくアニメや漫画などでも透明になれるキャラクターや道具などが登場しているが、私たちは自分がそうした道具を手に入れたときのことまでは真剣に考えない。

なぜなら現実に存在しないとわかっているからだ。

だが、人間に潜む心理や醜い感情、倫理や道徳といったものは普段は奥底に眠っていて表には出てこない。

そのため、誰もが自分の奥深くに眠る感情について想像することすらできていない。

それらの感情が姿を表すのは、本当に追い詰められたときか、何もかも自由にできる権利を手に入れたときだけなのだ。

 

内面的な幸福が心を満たす

ギュゲスの指輪は人間を完全に自由にする。

普段持ち合わせている倫理や道徳といった概念からの自由をもたらし、人間にモラルハザードをもたらす。

しかし、ソクラテスが述べているように、私たちにとって本当に大切なのは外面的な自由などではなく、内面的な幸福なのである。

もちろん幸福感は一人ひとり異なっているため、内面的な幸福を求めることがすべての人間の幸せにつながるとは限らない。

お金をたくさん稼ぐことに幸せを感じる人もいれば、たくさんの異性と遊ぶことに幸せを感じる人もいる。

好きなブランド品を買ったり、おいしい食べ物を好き放題食べることに幸せを感じる人もいるだろう。

プラトンやソクラテスといった古代の哲学者たちが伝えたかったのは、「一人ひとりが幸せに生きるためにはどうするべきか?」ということである。

一時的な快楽や欲求から得られる幸せは刹那的なものであり、時間とともに薄れていく。

だが、内面的な快楽、自分の内面から生じる幸せには賞味期限はない。

何をしても満たされない、常に不満を抱えている人は、ソクラテス風に言えば「問題は外の世界ではなく、自分の内面にある」と言えるだろう。

本当の意味で心が満たされた人生を送りたいのであれば、私たちはもっと「人間」について知る必要があるのかもしれない。

そして人間を知ることこそ、哲学の存在意義でもあるのだ。

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